大道幸之丞

誰も知らないの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

誰も知らない(2004年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

1988年に発覚した「巣鴨子供置き去り事件」がモデルになっている。

母親福島けい子役はミュージシャンのYOU。

是枝監督によると、バラエティ番組で見かけ「いかにも育児放棄しそうなキャラ」と思ってオファーしたという。
(おそらくは「ダウンタウンのごっつええ感じ」だと思う)

この事件は多くの視点から語る事が出来ると思うが、YOUを配した事で、育児放棄の自覚もなく、物事はどうしても楽しそうな方を取ってしまうイノセントな人物に思える。

とはいえ、長男以降は付き合った男性との子を次々に産みっぱなしにしている。そこからは「彼氏に嫌われたくない」思いが勝り、避妊を強く言えない意思の弱さがうかがえる。

私個人は、若いうちに右も左もわからないうちに(特に出来婚だと尚更)所帯をもってしまった20代の女性は「親にはなれても大人にはなれず」で、同世代を横目で見ながら遊びたい気持ちは強いだろう事は理解できなくはない。そう思えば私はこの母親を鬼畜生だと一方的に罵る気にはならない。

ただし子供を思えば何らかの保護を受けてもいいだろうし、しかしその一方で母親は、相反するようでも子供は好きで繋がっていたいのだろう、ある面非常にエゴイストで中途半端なのだが、人間にはときにそういう面もある。

この事件は母親が子供へDVを働くとかではなく「放置する問題」なので、尖った犯罪感が希薄になる。

ちなみに育児放棄ではなく、子供は大人数で育てるべきだと考え、自分の時間も作りながら子育てを考えた母親の映画『沈没家族』https://filmarks.com/movies/82674という作品も面白かった。

本作品はけっして母親が逮捕されるとか、福祉事務所が介在しサルベージされるような「救い」はない。
せいぜい社会的に力もなく、いざとなると援助交際して金を稼ぐくらいしかできない、社会弱者の中学生紗希(韓英恵)と、やはりコンビニで袋のストック作業もなかなか覚えられず要領の悪いコンビニ店員宮嶋さなえ(タテタカコ)と、明に期限切れのフードを分けてくれる広山潤(加瀬亮)が関わる程度で、皆が待つような明快な「結末」は劇中では訪れない。

結局、現実の事件を当てはめると恋人と同棲するために家を出てから9か月放置していた事になるが、明や子供がなぜ周囲の大人やセーフティーネットを模索し頼らなかったのかと言えば理由はひとつ「お母さんが好きだから」。
母親が悪者扱いにされるであろう事態は避けたいからで、劇中でも一度そんな状況を経験した事があるようで「大変だった」と明は語っている。

そうはいっても、いざ金がなくなると明は歴代のけい子の彼氏の職場に出向き無心する。皆タクシー運転手であったりパチンコ店のスタッフであったり、甲斐性のない男性ばかりで、ここでも母親の男への節操のなさが滲み出る。それぞれが自分の性行為で子供が生まれていると考える引け目から、なけなしの金を明に手渡す。

実際の事件では「不良の溜まり場になっている」と大家が警察に通報した事ですべてが明るみに出たが、この時の長男は母親をかばおうとする故か、終始あいまいな供述になったという。
結局子供4人は全員出生届が出されていなかったので、当然子供向けの行政サービスの連絡も来ていなかった。

けなげなのは、やはり子供たちが「友達」をつくりたいから学校に行きたがる事だろう。茂と明はそれでも果敢に友達を作ろうとするが、利用されるだけの関係になりさがる。

子供にも生活のリズムがある。学校に通い塾に通いと忙しい事もあり、彼らにはいつでも付き合えるわけではない。また、マンションの室内は、特に電気水道が全て止まって以降は「部屋が臭い」とされ遠回しに避けられていたりする。

基本的に事実の事件をベースに脚色はしている。ゆきが亡くなり、実際には秩父の雑木林への遺棄だったが、そのままでは物語として悲しいだけなので「空を見せたい」と、このような羽田に遺棄しに行く「画(え)になる」流れにしている。

ろくに約束を守らず、いつも言い逃ればかりする母へ次第に明は不信を抱くようになってゆく表情もうまい。子供は「理解」は出来なくとも「感じる事」には鋭敏だ。

エンディング曲を歌うのはコンビニ店員役のタテタカコで、彼女の本業は歌手である。

――この作品を見て強く思った事は「必要なのは町内会や近所の繋がりと適度なコミュニケーション」だと感じた。簡単に言えば「おせっかいやき」の存在。人間には今回のように「成立するはずもない状況」をだらだら続ける事がある
。ネグレストだけではなくDVもそうだし、そしてそんな当事者達はなぜか救いの手を差し伸べようとしても「放っておいてほしい」とにべもないものだ。
何らかの問題やトラブルと抱えた世帯を察知できる環境は今後いよいよ必要になるのではないか。

ドキュメンタリータッチが好きな是枝監督は今回も結論付けはせず我々に「状況」を提示して各自がどう感じどう考えるかを待っているかのようだ。