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砂絵呪縛のotomisanのレビュー・感想・評価

砂絵呪縛(1960年製作の映画)
4.0
 この、素浪人十四郎が仕えるのはお天道様だけだぜ、という感じのまとめがいい。と、そうなるまでの数日の出来事がなんと、将軍家の御世継ぎにまつわる政争の裏舞台に巻き込まれて味わう大葛藤という事で、エラく遅まきな青春記のようである。やさぐれ浪人の心底胸中になにが生じた?

 おそらく仕官はおろか殿へのお目見えも知らず、幼年、若年の内に主家の改易により一家で路頭に迷った果て運拙く離散の憂き目に遭い、いまや十四郎も天涯孤独であろう。
 武家とは名ばかり、まともに剣術を習った事も無ければ無学、武家の作法に読み書きぐらいは備わっているだろうが親にはぐれた非行少年が悪所に落ちて実戦を積み、それでも天稟と度胸に恵まれ気が付けば並ぶ者なしの十四郎流剣豪だ。きっと道場では教えない真っ当ではない剣法だ。それが、とんだ卑怯外道だろうが白刃の下を斬り抜けて負けない剣になっていた、という塩梅だろう。

 そんな風雪の中を二十年、追剥もやっちまうし喧嘩の助っ人、用心棒もお手の物で食いっぱぐれこそしないものの、こころの底は人の道を逸れっ放しのすきま風だ。そこに聞こえて来たのが綱吉危篤の報だが、おそらく十四郎一家を放逐したのは先代の迷君家綱のほうで、別に綱吉に恨みがあるわけじゃないんだろう、勝手にしやがれという。
 実は将軍はまだまだ十年は死なない。それでも世継ぎの定まらぬままの重病、御母堂+用人柳沢一派は綱吉の世継ぎの意向を認めた文書のありかの地図を獲得しようと水戸黄門派とにらみ合っている。ひょんな具合で柳沢派と関わり合って、たぶん十四郎は悪漢同士、同じ臭いに釣られて連中に与するのだろう。

 この悪党=柳沢吉保というと、大将綱吉御自らが浅野家で不始末して犬公方になり下がって、その腹心なんだから碌な事をしない、という感じだが幾分飽き飽きしてくる。どうせ映画でのはなしだから悪口も言われ放題なんだろう。そこで探ってみると、綱吉・吉保の心温まりかねない話があったりする。

 それが

 宮川葉子[著] 柳澤吉保を知る 第4回:吉保と綱吉 身体に障害を持って生きること
 (八木書店ホームページ内、「コラム」の部に掲載)

 であって、女の吉保まで表れるくらいだから驚かれもしないかも知れないが、か細き将軍とこころ細やかな用人の男と男がひもとかれる。これを映画人の誰も気にとめる者がおらんのか?

 半世紀前はまだ気にも留まらないと言うか、想像の取っ掛かりもなかったろう。なにせ綱吉ほか歴代将軍の遺骸の検分が行われたのが1958年からの一年半で綱吉の実像が流布されてなかった事もあろう。
 よって綱吉は瀕死の悪党で、相変わらず吉保は主君の危篤も悪事のネタにする悪爺に過ぎないが、なればこそ素浪人十四郎、江戸城乱入の末、側用人吉保の袴とふんどしのヒモをぷっつり斬ったところで水戸老公から待ったをかけられて、なんて想像も消えた三十分の実相として楽しむ事ができるわけである。

 わずか70分のこの映画だから、水戸派部隊長の品川隆二との一騎討さえ流れてしまうあたりどこまで切り詰めれば気が済むのか。
 ところが、意外な事にやさぐれ十四郎が女には妙な晩熟ぶりというか、気になるしのぶには気のない素振りで、隆二の許嫁の純情姫には「希望」と「信頼」とを学んで、天下無双でもねぇらしい俺さまの新しいこころの杖にするらしい。終わってみれば老公の聞こえ目出度い首尾ながら、おれは馬鹿だからなんだかんだ、シノブが勝手に連れ添って江戸からおさらばだそうで。
 この、なんだそりゃーな展開が新鮮というか、言うもこっぱずかしいというか。これが月影兵庫に化けるまで5年はかかるのも頷けた次第だ。
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