なっこ

エンパイア・オブ・ライトのなっこのレビュー・感想・評価

エンパイア・オブ・ライト(2022年製作の映画)
3.6

映画って何だろう

子どもの頃は家族で見るような話題作ばかりを一緒に見て、学生になって自分で見る映画を選ぶ様になってからは、ミニシアター系を好むようになった。そんな私にとって、映画は“窓”。スクリーンは、世界が切り取られたひとつの窓だった。そこから主人公たちが生きている世界が見える。

でも、最近は少し変わってきたように思う。

映画はエンタメの中のひとつのコンテンツとして楽しまれるようになったからかもしれない。時代という時間軸から切り離されつつある。それは多分アクセスし易くなったから。多くの人が多くのコンテンツに。選択肢が増え、見たいものを見られる。ひとりの俳優を気に入れば最新作からデビュー作まで遡って追っかけたり、話題になった映画監督の作品全てを一気見したり、と。それはけして悪いことじゃない。でも、なぜか少しさみしい気がするのはなぜだろう。

映画は始まり静かに物語に入っていく、ヒロインの日常に少しずつ引き込まれていく、そんな冒頭部分を見ながら、私はふと、自分ならどうだろう、と思った。

彼女にとっても私にとっても、長い人生の中で、切り取るとしたら、“今ここ”なのだろうか、と。

映画は、人生におけるひとつの「出会い」なのだと思う。それは、英語で言うところの“event”のように、「起こる」こと。日常の中に差し込まれるひとつの事件のような出会いなのだと思う。

私は今日、彼女の人生と出会った。

それが今日、私は映画を見た、ということ。

後に名作と呼ばれる映画は、その年の映画賞を総なめにするから名作になる訳じゃない。その作品がその年と共に記憶されるひとつの事件になるのは、まさにその作品がときを得て時代を背負うからだ。映画はまだ一期一会だった時代の空気を忘れてはいない。娯楽のためだけではなく、ニュースであり記録であった頃の使命をまだ持っている。そんなに簡単に巻き戻したり止めたり出来なかった。だからこそ、心に留めたものだけを大事に抱えて館の外へとみんな出てきていたのだ。みんなそうやって自分の人生へと帰っていくのだ。

映画はヒロインの人生のわずかな時間を切り取って提示してくれた。今の私にとって彼女との出会いは幸運だった。私もちょっと迷子になりかけてた。でも、彼女がスーツケースを膝に置いてひとり人生に立ち向かったように、私もわたしの人生に勇敢でありたいと思う。

ヒラリー、ありがとう。
なっこ

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