最後にほんの少しだけ救われる
これこんなに長丁場なの知らなくて、ずっと首を軽く絞められているような心地だった
どれだけ音楽を分かっていても、自分の中の信念に基づき行動していても、外部からの無慈悲な攻撃によってそれが危ぶまれるのは本当に許せない
リディアの字幕の使い方も、性差を感じさせない言葉選びを感じた(シャロンが妻側のようにも見えた)し、丁度合わせが始まるのがきっかり開始1時間後だったり、丁寧で繊細な作品なのに、彼女が指揮を執るシーンや、スキャンダル紛いの事件と隣人の不幸が重なったりと大胆で目まぐるしいシーンが挟まることにより、静と動のギャップがより際立つように思えた
テレビに映る指揮者の映像を観て、悔しさと哀しみにくれるリディア ジムに行ったり、周りに助けを求めていられる状況ではない
自分が変わるしかない瞬間 そこで豪に入れば郷に従うことを選んだリディアは、まだ生きたいのだろうし音楽を続けたいのだろうと思った つまらないこだわりが己を破滅させるとあるけれど、それがないと己でなくなってしまうことが何故分からないのだろう