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女子高生に殺されたいのnetfilmsのレビュー・感想・評価

女子高生に殺されたい(2022年製作の映画)
3.8
 二鷹高校に赴任してきた歴史の教師・東山春人(田中圭)は赴任初日から年頃の女の子たちの羨望の的で、一見スマートで知的で素敵な先生なのだけど、実はとんでもない妄想変態おじさんで、甘いフェイスの裏にもの凄い欲望を隠し持っている。東山はむっつりスケベが極端に肥大化した妄想狂で、おそらく彼がこの世に生を受けた時点で臍の緒が絡まって生まれたことに起因する極端な性的嗜好を併せ持った人間なのだ。それがたまたま教師という世を忍ぶ仮の姿に身を隠し、平然と爽やかさを装っている。これがハゲデブおじさんだったら、「このロリコンが」の一言で簡単に断罪されてしまうであろう。彼の隠しきれないセクシュアリティとフェロモンは思春期の少女たちにとっては何やら特別らしく、各人それぞれに東山を意識しているんだけど、互いに牽制し合っている。少女たちは自分たちが東山にとって「特別」だと思い込んでいる。ここに物語の肝はある。太ももと膝が軽く触れることはあっても、東山は決して彼女たちの身体に触れることがない。専ら遠目から彼女たちの姿をじっと視姦するだけだ。触れられそうで触れられない、距離を縮められそうである一定の距離からは縮まらない。今作はその禁忌のような男女関係が、逆に想像力を掻き立てる極めてフェティッシュな作品である。

 オートアサシノフィリアとはなかなか耳馴染みのない人も多いかと思うが、自分が殺されることに性的興奮を覚える異常性癖の一種である。死とSEXとは文字通り表裏一体で、生身の身体でぶつかるしかない2人っきりのゲームだ。東山はやがて4人の少女にターゲットを絞り、異常行動を開始する。その姿は遠隔操作による代理殺人や催眠療法を繰り返す『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士を想起させるが、自分を殺すように仕向けるあたりが極めて倒錯的だ。やがてかつて恋人だった恋人だった深川五月(大島優子)が同じ学校に赴任したあたりから物語は混迷を極める。これは額面通りのサイコ・スリラーではない。洗脳する側とされる側の心理的アクションは静かにスパークするものの、どこに落ち着くのか皆目見当も付かない。『そして、バトンは渡された』や『劇場版 あなたの番です』で舌ったらずでどこか頼りない大人を演じていた田中圭がいわゆるサイコパスな役柄で新境地を築く。彼をかつて愛しながら、未だに彼にフラれた理由を探し続ける深川役の大島優子も、さながら探偵か刑事のようで良い。OVでも映画でもとにかく多作な城定秀夫監督はとにかくその場数の多さが強みとなっており、特に4人の少女の尋常ならざるフェティッシュな描き分けは目を見張るものがある。久々に邦画の枠に収まらない怪作だ。
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