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花子 4Kのnetfilmsのレビュー・感想・評価

花子 4K(2001年製作の映画)
4.2
 『まひるのほし』における西尾繁通称しげちゃんや『SELF AND OTHERS』における牛腸茂雄とほとんど同列の、心底見逃せない、業に包まれた人間である花子にカメラは向かう。京都府大山崎町で両親と姉の4人で暮らす22歳の今村花子は、頑固な性格の知的障害者。平日は障害者支援センターに通い、週末には絵画教室やバスケットを楽しむ日々を送っている。そんな彼女が、毎晩夕食後に畳の上をキャンバスに夕飯の残りを使ったたべものアートなる作品を作るようになって6年。今は、それを写真に撮ることが母・知左の日課だが、父・泰信はまだ未だに汚い残飯としか思えない。そうした、今村一家の変わらぬ明るい日常。しかし、姉・桃子は花子との間にあった確執を思い出として語り、独立の準備を進めている。淡々とした4人家族の幸福な風景は、今村花子が毎晩繰り広げる作品は母親によって残飯アートと呼ばれるものの、単なる残飯にしか見えない人もいるに違いない。実際に今作でも母親の次女・花子への愛おしさは食器の中では完成されず、世界が狭まっていると言われ、しばしば畳の上で開陳されたその偶然の創作にシャッターを押す。

 然しながら知的障碍者である今村花子は癇癪持ちで、その心のスウィッチがどこで入るのかは我々健常者にはまったくわからない。私たちがわからないことは家族にもわからない。言葉が話せない花子にとって喜怒哀楽を表現することは残飯アートあるいは癇癪であることは想像に難くない。母親はストリートで世間様の目の前でいきなり癇癪を起こす花子の姿に戸惑う。カメラの前に一切出て来ない姉もまた、妹・花子の突然の癇癪により、家では一切勉強が出来なかったと苦笑いのようなエピソードを明かす。残飯アートの元となるのは母親のその日の献立で、実は花子の母親が投げ掛けたその日の献立表に対し、娘の花子は言葉にはならない応答を繰り返す。その捻じれた奇妙な応答の意味と、家族の軋轢を今作はひたすら問い続ける。翻って、あらゆる喜怒哀楽の表現を抑制された今村花子の焦燥はいかばかりか?彼女には今日ここで起きた些細な出来事の喜怒哀楽ですら、言語化し吐き出すことすら出来ない。然しながらすっかり去勢などされていない花子の身体が半径数メートルの家族の中で饒舌に暴れる様子を我々は不意に目にする。その涙ぐましい生への躍動は止むことがない。アートとは生きることへの躍動そのものだと佐藤真は素描する。その被写体と周縁の人々との絶妙な距離こそがドキュメンタリーを形作るのだと佐藤真は強烈に語り掛ける。今村花子さんはご健在だが、両親はまだ生きているのかそればかりが気になった。
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