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映画 オッドタクシー イン・ザ・ウッズのambiorixのレビュー・感想・評価

3.1
僕はTV版の『オッドタクシー』が大好きで、どれぐらい好きかというと、アニメのオールタイムベストを作ったらまあトップファイブには間違いなく入るんじゃないかという程度には好きなんですが、つけた点数を見てもらえればわかるように、本作『オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』に対する評価はかなり低いです。というのは、TVシリーズでよかった要素のことごとくがこの映画版からスポイルされているからで、これに関しては後述します。
結局、公開時には観に行かず、今回アマビデで鑑賞したわけですけど、劇場版製作の一報を聞いた時に真っ先に頭蓋をかすめた「この完璧な作品にこれ以上なにか付け加えることがあるのか?」という嫌な予感(これはそのまま映画館に行かなかった理由でもある)は残念ながらもっとも悪い形で実現してしまったと言わざるをえません。
ひとまずはこの映画、立ち位置的には、続編でも総集編でもなく「再構築編」と表現するのが正しいと思う。TVシリーズが主人公・小戸川の主観からストーリーを語っていく作品なんだとしたら、逆に本作は複数の登場人物による事後的なインタビュー証言から、つまり客観の視点から小戸川のパーソナリティやメインの事件を掘り下げていく仕組みになっていて、この試み自体はただテレビアニメを話数順に並べて縮めただけのよくある総集編映画とは一線を画しているように感じる。
なんだけど、ここからダメ出ししていきますが、13話×30分あったTVシリーズを映画の尺に再構築するさいにまず失われてしまったのが、本編最大のキモであったはずの会話シーンの面白さ。とにかく尺がないぶん、お話を前に進めるためには要点だけをかいつまんで説明しなくちゃいけないわけだけど、このアニメはある種クエンティン・タランティーノ的といってもよい、独特な会話のリズムやユーモアあふれる言語センスでもって行われる一見したところ無駄でしかない他愛のないおしゃべりにこそ魅力があるのであって、もともとの会話パートに新録のインタビュー音声を重ねたり、あまつさえ会話ごと省いてしまう、なんていうのは如何なものかと思う。
そして、会話が足らんということは、会話の積み重ねによって生まれてくるキャラクターの個性やキャラクター同士の関係性の掘り下げが足らんというところにも繋がってくる。とくに、小戸川と柿花の関係、お笑い芸人ホモ・サピエンスのコンビ間ギャップ、きわめつけにエンドロールでいちばん目立っているにもかかわらずほぼ出番のないタエ子ママの存在(とそれにまつわるハートのペンの謎)などなど、この辺はTVシリーズ未見の人には何のこっちゃ分からなかったはず。単体の映画作品として見る上でここの甘さは致命的なのでは。
さらにアカンのが、作り手の側がもっとも見せたかったであろうラスト5分、続編部分ですね。TVシリーズでは、最終話のオーラスで小戸川とある人物が対峙するんだけど結末を観客に委ねたまま宙吊りになって終わっちゃう。そのなかで、観客はだいたいハッピーエンド説とバッドエンド説のどちらかをああでもないこうでもないと脳内でこねくり回しながら考えるわけだけど、どの解釈にも一定の説得力があって、それがまた作品の魅力の一つでもあった。ところがこの映画版は、追加のシーンでもって今まで曖昧にボカされてきた部分を明らかにし、作り手の一方的な解釈を無理やり押し付けることで開かれたエンディングの多様性を奪ってしまったわけです。いくらなんでも無粋すぎるし、見せ方もぜんぜん上手くないんだよね。下手人が小戸川に襲いかかるカット→揺れるタクシーを車外から俯瞰でとらえたカットときて、あのエンドロールの一枚絵に繋がるか?っていうと繋がらないと思う。因果の流れがいまいち頭の中に浮かばないのよ。
てな具合で、ダメなところを挙げていくとキリがないですが、スタッフ当人が自分の作った作品のどこが面白いのかをまるで理解できておらない、ということがとにかく残念でならなかった…。
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