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ポスト・モーテム 遺体写真家トーマスのotomisanのレビュー・感想・評価

3.9
 合衆国でのことだが、遺体の写真を撮ったのは肖像画より時間を要さず費用も安く、とはいえ辺境の入植者には一生に一度の散財というくらいの高額ではあった時分、撮影の機会を得られないまま亡くなった身内、とりわけ未成年の息子や娘の姿を哀惜の念から残そうとしたのだそうだ。
 よって撮影は生前を偲ばせるような化粧や拵えを施し家族一同も交えた行事となる事もあったらしい。それも19世紀以来の事、フロンティアも真っ盛り、街も遠く、みんな貧しく写真家も数少ない時分の事だそうだ。古い写真術のダゲレオタイプによる絵の美しく精細な像は露光10分などと、動くことのない死者なればこそ叶うわけで、それには臨死を覚悟、息を詰めて見入るほどのものがある。

 ところで、こちら半世紀以上は後のハンガリーでも事情は変わらないらしい。世界戦争や大疫病で人が大勢、わけても若い人が死んでしまった。そんな動乱期だから世間には幽霊が溢れているという。
 軍務中臨死状態から生還したトマスは退役後肖像写真家となり、当然死者も撮る。そこにやって来たのが小娘アナで幽霊も撮れるかと問う。
 この怪しい娘、死んで産まれて生還したといい、ならばトマスの先輩であり、しかもトマスの臨死中遭遇した女に瓜二つ。幽霊はともかくアナの村の仕事を請け負わないわけがない。

 このひとたび死んだふたり、幽霊がなぜか騒ぎ道連れさえ求める村で撮影のかたわら魂鎮め?にも励む。いや、彼らのする事が鎮魂になっているのか、そもそも影のごとき幽霊界と頻りにポーズを決める死人界と慌てふためく生者界の入り乱れがどんなシステムエラーなのか神も仏もお手上げと見える。
 だから鎮まるどころか幽霊はふたりに、お前ら死んだ事あんだろと、何かを求めるようでいて平気で殺しかねない勢いで暴れまわり、対決の一夜の大騒動の末、エラーが高じて異常終了するごとくケロリと霊障は雲散し明ければ朝からいい天気だ。

 結局、なにかが鎮めになったのか、なにが霊を衝き動かしたのかさっぱり知れず、村の多くは霊障事件をきれいに忘れてしまったかのような塩梅で、そんなダウン後の静穏の方がよっぽど怖い。それなのに、生還コンビは第三の相棒、元教師のマルチャに見送られて次の村に仕事に行くという。幽霊ハンターシリーズ通して謎解明、評判よければ頑張りますという感じに図りやがったなと思う。
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