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マイ・ブロークン・マリコの都部のレビュー・感想・評価

マイ・ブロークン・マリコ(2022年製作の映画)
3.3
漫画とは総合芸術なので、作品の性質上 特定の画風/筆致で描かれることで十二分の魅力が引き出されている作品というのはどうしても存在するのだけれど、本作の原作はコレにあたるように思う。

日常と隣り合わせの普遍的な薄幸で人生が破綻した女と腐れ縁からその女の傍に居ることを選択した女の物語は、どこか後ろ向きな諧謔性を帯びた筆致と共に描かれるからこそ、現実離れした感情の爆発に熱が籠る仕組みとなっているのである。それと比較すると映画の全体像は写実的であるが故にその空回りぶり/自己完結性が高まっている印象で、『静』を象徴とするシーンでは好調な筆致も『動』のシーンとなるとやや浮いた印象は拭えず、忠実でこそあるが原作の再現性が完璧かと言われると首を横に振らざるを得ないのは事実である。

とはいえ永野芽郁演じる椎名の擦れた人間性の発露は自棄特有の開放感があり、世間一般の認識としては『メンヘラ』として処理されるマリコを演じる奈緒の演技は真実味があって、哀れに思ったりムカついたりと良い感じに感情を掻き乱してい くれる所感があるのは実写ならではの良さと言うべきだろう。実写の良さと言えば、どことなく閉塞感を覚えるロケーション選びの妙も好感触だった。『ここ漫画で見た!』と言うような驚きと称するのは安易だが、作品のテンションに見合ったショットの数々が見られるのはよいね。現実と過去の時間軸を物語が行き来することで明らかになる、互いが互いを不幸にしている関係性の掘り下げは気が滅入るものの、その折で挟まれる僅かな幸せのひと時を優しく包み込む余韻の持たせ方も嫌いではない。

そのように実写の妙を引き出している部分がある一方で、遺灰強奪後の展開の間延びしたシーンによる中盤の構成は90分足らずの映画であるにも関わらず尺の余りを感じさせ、映画化に際した再構成の意味を成してない忠実なだけの実写化になってる場面も多く見られる。目的地に到着してからの過剰な演出は実写映画としてはやり過ぎなきらいがあり、展開も荒唐無稽のラインを超えたそれとして出力されている為に文句も生じる。

また作中の『クソ男』に類することのない男性の1パターンとして登場する釣り人は、バックボーンこそ立派ではあるもののその曖昧模糊とした立ち位置や話に都合の良い役回りを担う回数の数々は現実感のなさを途端に感じさせる存在でもあり、それらしい台詞が過度に表面化しているのは考え物である。

総評として原作の忠実な映画化として考えると申し分ない出来だが、映画として物語を起こした時の改変や再構成の抜かりが作品の至らない点を強調する作りなのは明確な問題である。しかし映画としての良し悪しが明確である以上は呑み込むのも容易く、原作から得られる感動の取り零しは致命的というほとではない。
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