黒猫道

ザ・ホエールの黒猫道のネタバレレビュー・内容・結末

ザ・ホエール(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「ずっと自分のことばかりね」彼女はそう言った。

この物語は自分勝手な男が自暴自棄になって死んでいくお話。
自分勝手なことその1
:太りに太った結果、最愛の人の妹に看護させていること
自分勝手なことその2
:その妹にまともに金銭の支払いをしてないこと
自分勝手なことその3
:大学のオンライン講座の最終回を濫用し、自身の肥った姿を受講者に見せつけたこと
自分勝手なことその4
:妻と幼い娘を捨てて、愛する人と駆け落ちしたこと
自分勝手なことその5
:死に際して、捨てた娘と今さら心の交流を取り戻そうとすること

まあもちろん、この自分勝手さには理由があるのだけれど、それにしても…という感じである。

男は、「死ぬまでにひとつ人生で正しいことをしたと信じたいんだ」と語る。
それはひとつの文脈では「素晴らしい才能に恵まれた人格者の娘をもったと信じたい」と読み取れる。
だが、この願いは届かない。
なぜなら、彼の娘は人格者なんかではないから。彼の希望に反して。
彼が娘の優しさの証明だと縋った彼女の牧師に対する行いは、善意からではなく悪意からだと読むべきだろう。
この強い思い込みは皮肉なことに、娘の優しさではなく彼の自分勝手さの証左の一つに過ぎない。
しかし、もう一つの、より慎み深い文脈においては彼の願いは遂げられる。
「愛する娘に対して、あなたは望まれて生まれた子であると伝えること、それが人生で唯一の正しいことだと信じたい」という意味において、である。

彼の娘は、父親がゲイだと知ったとき、こう思ったに違いない。
「私は望まれて生まれた子ではなかったのかもしれない」と。
その彼女に対して「違う、たしかに私はあなたを捨てたけれど、あなたを愛している。あなたは望まれて生まれた子だ」と伝えること。それが、彼にとっての最期の望みだったのではないか。

子は、すなわち人は、すべからく親に同意してこの世に生を享けるわけではない。
親は子に、根源的に自分勝手さという負債を負っているのである。
そうなれば、「親が子にできること」というのは、どこまでいっても身勝手なものでしかありえない。
愛を伝えることは、親が行使しうる身勝手さのうちでは、まだ望ましいものではあるだろう。

この物語は自分勝手な男が自暴自棄になって死んでいくお話。
誰かと分かり合えたり、このあとの物語でなにか素敵なことが待っているという確信めいたものは与えてくれない。
しかし、反社会的であることは詩の条件の一つである。

愛する男に先立たれ、過食症に陥った男。
8歳で愛する父に捨てられ、学校をドロップアウト寸前の女の子。
彼らは"他者とのコミュニケーションの拒絶"という観点では相似形である。
彼女を救うことは、彼を救うことでもあった。
黒猫道

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