人生の最期に想いを馳せる感慨深い二時間になった。
自分の人生が曲だとして、もうアウトロに差し掛かっているとしたら…とは邦画『辻占恋慕』にあったやり取り。
Stevie wonderのisn't she lovelyのアウトロって正直飛ばしたくなるほど長いと思ってるんだけど、絶え間なく続く幸せな毎日を表現してるのかなぁなんて、何故かこの映画を観て思えた。
本作主人公のチャーリーのアウトロはもう終わり間近、或いは本人が停止ボタンを押そうとしている状況…
家族、愛する我が子を捨て、恋人との生活を選んだものの恋人に先立たれ、過食から手助けが必要なほどに、人目を避けるほどの巨体となったチャーリー
客観的にみて平凡な人生を送っている自分だって残りの人生が、10代や20代のそれとは違う意味で無意味だったり、無駄に思えてしまうことがあるけど、チャーリーの後悔や失望、残りの人生への虚無感はどれほどのものなのだろう…なんて。
それでも未来へと続いていくもの、
自分がいなくなっても生き続ける人々や時間たち。
そんなものに自らの人生や生の意味を問いかけるかのようなチャーリーの言動やエリーを未来へ送り出そうと問いかける姿には胸が熱くなった。
白鯨が本作のモチーフであることは間違いないけどあらすじぐらいしか知らなかったのは鑑賞する上でマイナスだったな。
分かり合えないこと、分かり合えないことによる憎悪?
それはそれで悲しいかな生きる活力にもなったりする。
エリーの生きるための糧、活力。
チャーリーもエリーも救われたらいいな。