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ザ・ホエールのmasatのレビュー・感想・評価

ザ・ホエール(2022年製作の映画)
3.1
「自分の輝きを忘れたのでは?」
と哀しげに娘のfacebookを見つめるデブ。
豚とかのレベルではなく、まるでトロールだ。この奇怪な白いクジラのような男の物語。

“super size me”を思い出す。
(最近、監督がお亡くなりになった。ムーアにはなれなかったが、ある視点は遺せた)
ソルトレイクシティに近い山奥で開かれている映画祭でのワールドプレミアで観た時、今でも鮮烈に覚えているのは冒頭「アメリカ!それは!デブの国!デブの国!」とナレで連呼しながら、街行く巨体の人々の後ろ姿をこれでもかと映し出す。
食料問題ではなく、アメリカに根ざす“食質”に関する深刻な問題の異様さを冒頭から実感させられた。
そんなアメリカを“体現する”本作の主人公の有り様に、LGBTQや、週末論のカルト宗教、夫婦問題などが、ベトベトと絡んでくる。
それらを一点突破で突き抜けようとするのは、これから始まるであろう自分の娘の人生の豊かさと可能性、即ち、講義に集う明日を担う世代たちも含めた、彼らには(ラストに扉の向こうから射す!)光が満ち溢れているのだ!と言う事をどうにか伝えたい、伝えようとする、その最期のちっぽけな意志。されど、クララのように立つ!立てる強靭な意志の人間讃歌が、グロく痛々しく、2020年以降の映画に相応しいコンセプトで描かれていた。

こういった場合、妻はどうでも良いのだが、恋のために子供を捨てた・・・と言う核となるシチュエーションと贖罪だけがどうにも腑に落ちないが、

“(人間は)自分勝手”、
だから“痛々しくやる”・・・

を信条とするダーレン・アロノフスキー作品と思えば、作家性として一貫しているようだ。

mummy俳優も、全身塗りたくられているが、愛嬌のある眼がガッツリ効いて、感動的に持っていく。
『ダウンサイズ』のイケすかないヒロインが、宗教によって絶望死するゲイの恋人の妹を演じ、ここでも落ち着きなく動き回っていてイイ。
娘役の女優が、主人公と瓜二つの瞳をしているのが、凄味。

映画黎明期に“初期設定”された、映画に必要な2つのこと・・・
見世物趣向性と、
ありのままのリアルな人間が、
並列に混ぜ込まれて、スペクタクルすら感じる。
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