都部

はい、泳げませんの都部のレビュー・感想・評価

はい、泳げません(2022年製作の映画)
4.3
私は本作を鑑賞してマジで泣いた──なんて情緒も何もない言い回しだろうか──のですが、これには理由がありまして。私は『悲しむべき時に上手く悲しめなかった人間が、薄情者であるとか無慈悲であると他人に非難されながらも、ただそれでも自分なりに悲しみを受容しようと藻掻く物語』をどうしようもなく愛おしく思うのです。

ジャン・マルク=バレ監督の『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』をオールタイム・ベストムービーの一本に据えているのはそんな人間の受容までの機微を捉えた作品としてのマスターピースであるからで。
本作もそれ同様に、その機微を引き出す為の手段として水泳という行為を主軸に置くことで一人の男の再生を丹寧に描いている作品です。

作中に於いて水泳は身を委ねる行為であると言及されますが、その行為が指し示すのは小鳥遊自信が抱えるトラウマとの対峙であり、序盤の時点ではコミカルに見える水に対する極端な抵抗の姿の印象が次第に変化していく筋書きは、彼の抱える問題により深く 奥底へ潜っていくような内省的なアプローチが効いていて好ましい。水泳の上達によって忘却してしまった痛み辛みに少しずつ実感を覚えていくのは道程としてな地味でありながらも、着実と地に足の着いた再生のドラマを重ねていく丁寧さと見れば印象は良いですね。

泳げない男が泳げるようになる為に水泳教室に通うという切り口こそライトですが、直面するトラウマは重く苦しいもので宣伝から覚える印象ほど軽い話ではないのはたしかです。だからこそ長谷川博己と綾瀬はるかの軽妙な遣り取りは際立って愉快で、年配のおば様達に混じりながら水泳の上達に小鳥遊が一喜一憂する姿を微笑ましく見れるという構図による物語のウェイトの緩和なども考えられている。

この辺りは邦画としての雰囲気の強みというか、底に潜む哀愁と普遍的な喜びが同居した人間模様を投影したような作品の良さが出ているように思います。撮り方に極端な癖は見られませんが、鏡と境界を使った演出は人間と人間の心理的な結び付きの表現として小気味良く、本来不一致に思えるはずの某シーンのCGの起用は水泳という行為が齎す一種のトリップ感の説得力を補強していたのではないかなと。

悲しみを実感して前を向く物語の着地点としても結末は爽やかなもので、小鳥遊が口にする 本作のタイトルを踏まえた上での台詞は、悲しみを抱えながらもこれからの人生を自分なりに生きていくという決心を感じさせるもので私は……泣いた……。
涙が流れなくてもそこに悲しみはちゃんとあったんですよね。

そんな訳で概ね満足の作品でしたが、強いて言えば綾瀬はるか演じる静香コーチの外出恐怖症の設定は小鳥遊の対比する形で配置されているのは分かるのですが、それがドラマに影響を及ぼさずに物語に幕を引かれるのでその点は構成要素としての余りを感じましたかね。あくまでも本作は小鳥遊の物語なので、そこを意識するならば取捨選択の余地として切り捨てた方が、より綺麗ではあったように思われます。
都部

都部