聞こえたぜ俺には、弾丸ジャッキーて叫びがな。
劇中ではその距離感がはっきりとは描かれない、或いは描かれていないと思える相手に恋愛事情を質す無神経さにもやもやしたりですとか。
判断材料がぼんやりとし過ぎていてやれたかも委員会の審理には掛けられない程度のエピソードの密度に首を傾げたりですとか。
テーマとは無関係だろうけどもの作りに目覚める切っ掛け、どこにあったん、とか。
そも、女性主人公の人物像の描き込み不足で全体像に於ける感情の流れが読み取れねえよ、とか。
そんなふうに思ってたんすけど違うなこれ、女性主人公という認識も間違ってるな、と。
終始一貫して独り善がりな想いを、承認欲求に端を発する一方的な憧れを、詰まりが信仰でありいつかは自分もなにものかになれる筈という希望を。
即ち恋を。
描いていたのだとラストに判ってならばようよう一方通行な現状が正解かと、そう思いましたよね、と。
だとすれば映画に没頭する理由を、なんの役にも立たないから、とする作者のその姿勢にはコミット出来ちゃうわよね全力で、と。
好い具合に呪われてんじゃん、あんたも大変だな、と。