ドラミネーター

破戒のドラミネーターのネタバレレビュー・内容・結末

破戒(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

〈『破戒』とは〉

 本作は、「被差別部落出身者であることを絶対他言してはならない。誰も決して信頼してはいけない。」という父から受けた"戒め"を胸に生き続けてきた瀬川が、その戒めを破る(破戒)物語である。
 また、「我は穢多なり。されど、穢多を恥じず。」という猪子蓮太郎のこの言葉は「自分は被差別部落出身者だから、被害を被らないために部落出身であることを隠さなければならない」という、理不尽な差別の結果生まれた自身による自身への"戒め"を破壊し、"自分が自分であることを誇る"という大変力強い視点である。現代風に言うなればエンパワメントされる視点の転換である。
 実際の水平社宣言(1922(大正11)年3月3日)にも「皆々がエタであることを誇り得る時が来たのだ。」とあるように、差別者やその周囲に働きかけてその価値観や考え方を返させるのではなく、まず"自分が自分であることを誇る"ことが、自身に対する持って然るべき誇りを取り戻すことが第一であるということを思い知らされる。自分が自分であることに誇りを持ち得た時、自分のうちなる炎は熱を上げ、自分の世界を変え、周囲の世界を変え、社会をも変えうる革命(理不尽な差別を否定し、本来あるべき姿にする)となる。


〈教師としての瀬川〉

 被差別部落出身者に降りかかる理不尽極まりない苦難を描きながらも、本作が人の温かみや希望を感じさせるのは、瀬川が教師であり、それに応える子どもたちがいるからであろう。前途洋々たる子どもたちに誰よりも真摯に向き合う瀬川だからこそ、自身や自身の親が受けてきた理不尽な苦難を「これはおかしい」と声に、行動に出すことができ、それは瀬川の信念を受け止めてくれる子どもたち(生徒)という存在があってこそだろう。瀬川が多くの子どもを勇気づけているように、瀬川が子どもたちに勇気づけられていることも、旅立つシーンなどに顕著に描かれている。


〈子役の素晴らしい演技〉

 大江仙太(被差別部落出身の少年)役の石田星空や、風間省吾役の斎藤汰鷹の演技が素晴らしかった。特に兄が戦死し、省吾が瀬川の前で泣くシーンは涙なしでは観られない。「戦争に行って戦う!」的なことを授業中に放言していたが、大切な兄が戦死して漸く人が死ぬということの意味が、戦争とは何かが、分かった省吾。大変悲しく辛く理不尽な現実であるが、教師・瀬川がそこに居たことによって、この出来事はこれからの彼を形作る「学び」や「成長」となったことであろう。
 共感、共感、共感、傾聴、傾聴、傾聴と叫ばれる現代であるが、人生にはどうしようもなく辛く苦しく理不尽なことがある。そういった時、「堪えるのです。挫けてはなりません。」と、鉄を打つように、本人に強い芯を持たせるような言葉を贈ることはやはり必要なのかもしれない。このご時世、その言葉を贈る人にとってもそれは勇気のいることであるが、きっと、その言葉でなんとか自分を保ち、立っていられる人もいるはずである。


〈引っかかったところ〉

 仙太のおじいちゃんがお金持ちなのに仙太の身なりは貧しく、ノートも全然良いものを使っておらず、瀬川がおじいちゃんにお願いして初めて上の学校に進めるようになった、というのが少し引っかかる。