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アイ・アム まきもとのmatchypotterのレビュー・感想・評価

アイ・アム まきもと(2022年製作の映画)
3.8
⚜️🎬2022年、映画300レビュー🎬⚜️
今年はTVドラマ、TVアニメにも手を出してることで映画のペースは昨年に比べてややゆっくり。
でも、それでも1日1本ペースぐらいなのはとても良い。もう、観たいモノがありすぎて手当たり次第過ぎるが、これもまた映画。今年もまだまだ行くぞ。行けるところ、まで。


良い映画だった。
クセの強い主人公と、誰もが直面する“死”と、爽やかで美しい風景と、存在感のある面々。

「あ、マキモト、今、こうなってました!」

恐ろしく“察しの悪い男”、マキモト。
市の行政で、身寄りもなく、引き取り手もなく、路頭に迷う仏を預かりその処遇を差配する“おみおくり科”に1人所属する男、マキモト。

ルールに従い、すぐさま警察から遺体を引き取り、ある程度の引き取り手探しをし、見つからなければ無縁仏へ手続きをし誰も困らないようにする科、なのに、そうしない男、マキモト。

そうしないどころか、自分の生活のみを削ってまでなぜかその“無縁仏”の葬儀費まで出し、参列者がいなかろうと葬儀を手配して弔う男、マキモト。

この男の恐るべき“察しの悪さ”と、バカが付くほどの“正直さ”と、“諦めの悪さ”が、この科における本来の職責を飛び越え、故人の関係者、ないしは、故人にすら影響を及ぼしていく。

いくら孤独で身寄りのない寂しい最後となってしまった故人であっても、そのことに触れることができる行政の仕事をしているからと言っても、たぶん、ここまでする“赤の他人”はいない。

逆にこれが素晴らしい行為であったとしても、全国津々浦々の市役所にこの科があって、その全てにマキモトみたいな人がいたら、行政はきっと破綻する。

しかし、彼にとってはもはやそんなことはどうでも良い。
ルールがあろうが、ただ最低限の予算で職責を果たせば良かろうが、そんなことは関係ない。

彼の頭の中は常に「“故人”のことでお取込み中」。

さらにこの“察しの悪さ”。
普通、特に日本人は、皆まで言わない文化であり、そういう言い回しをする時は実はこうだとか、直接的には言えないことを言いたい時にこういう単語を使うとか、表面的な表現で伝えて相手に解釈を委ねる風潮がある。

彼にはそれが全く通じない。
通じないから相手は彼にそれを言わねばならないし、考えねばならないし、適当に済ませられない、あしらえない。

そんな彼の科も、効率化やコストカットの風潮で廃止寸前に。
急なやってきた上司に、これが最後のおみおくり科の仕事にしなさい、と強引に幕引きを迫られるも、彼は「こうなっている」ので、マイペース。

マイペースどころかさらに「こうなって」、“察しの悪さ”がパワーアップし、普段以上に個人と向き合う。

その“故人”を思う執拗な、もはや彼が生まれ持ったこだわりのような正直さが、宮沢りえ、満島ひかり、國村隼、ほか、最後の“故人”宇崎竜童の人生の出会い、そして、寂しい最後となってしまった彼の人となりを紐解いていってしまう。

寂しい最後であっても“故人”にもそれまで生きてきた人生があり、亡くなってしまった界隈では厄介者扱いであってもそうではなかった過去もあり、なにより孤独にこの世を去っても1人で生きてきたわけでもない。

この世を去る瞬間は孤独であっても、弔われる時も孤独でなければならないこともない。

何を思ってそこまでするのか、マキモト。
それは本人の口から語られることはないが、観ていれば何か伝わってくる。

彼のクセの強さ以外はとても穏やかな映画。
そして、彼のクセの強さに慣れればそれはホッコリ暖かい気持ちにもなる。

宮沢りえ、満島ひかり、めちゃキレイ。
どうしてこの2人は凡人ならざる美しさ、強さ、雰囲気と透明感があるのに、“自然体”風になるのか。マジ謎。

マキモト、こんな人なかなかいない。
逆に血眼になって遺族を探して無理やり遺族に押し付けて処置するでもなく、引き取らない身寄りを非難するわけでもない。
こんな彼だからこそ、導き出せることもある。

とはいえ、こうなりたいとか見習いたいとかそういうことともちょっと違うけど、周りから見れば少し異常なほどに仕事や遺族でもない故人や遺族と向き合う彼の姿勢が、“無縁”を“無縁”にさせない帰結を生む。

「マキモトさん、あなたの粘り勝ちですよ」


F:1868
M:1677
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