深田晃司監督作品初挑戦。
「今年ベスト級」といった評価を多数目にして気になっていたが、ついにレンタル開始につきすぐさま鑑賞。
結論から言うと、序盤から終盤にかけては「う~んムズい。これは果たして良い作品なんだろうか・・・」と逡巡しながら見ていたところ、ラストシーンの衝撃に顔面パンチ&KOされたという感じ。
観ていると当然ながら深田監督の映画監督としての力量のようなものはびしびし伝わってくるんだけど、以下数点の要素が気になり、逡巡の思いが生じた次第。
まず、テーマ設定として「人は結局孤独に生きていくしかない、が、その上で我々はどう生きるか」というテーマはとても深いものだし、ここら辺は観ていて濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』を想起したんだけれど、
ことの発端として非常に悲劇的な「喪失」を置いちゃってるので、
本作は「孤独に生きていくしかない我々がどうやって生きていくか」を描きたいのか、
「喪失との折り合いのつけ方」を描きたいのかがぼやけてしまっているように感じたもの。
(かつ、前者をメインに描きたいのであれば、そのための「ギミック」的にこの悲劇を設定したことに、若干の倫理的抵抗感を感じたのも正直ある…)
ただ、この「人は孤独に生きていくしかない」という視点から「信仰」について言及しているところがあり、ここはなかなか凄いレベルで信仰という行為の核心に肉薄していると感じ、なかなか凄いものを観たと思った。
もう一点、(これは今改めて仰ぎ見るに本作の狙い通りのところだと思うんだけれど)主人公含めた登場人物の倫理基準が一定ではなく、特に中盤までがっつり感情移入していた主人公の妙子自身が私個人の倫理基準から急激に逸脱し始めるので、私の気持ちを誰に仮託して良いか分からず、なんだか地に足がつかないような変な心持になってしまった。
と。
終盤まではある意味もやもやしながら観ていたんだけれど!!!
ラストシーン。
なんだよ、このタイトル・インの仕方。。
ちょっと汚い表現をさせてもらうと、衝撃でゲボが出そうになりました。
本作におけるテーマを本質的に表すような妙子の静かな台詞。
その台詞に「わ」と静かな衝撃を受けているところでの、完璧な間でのタイトル・イン。
そしてこのタイトル・インとその背後の無音の力により、妙子の台詞に込められた本作のメッセージ性が極大化される。
そしてその後の展開。
人間なんてそれぞれ倫理基準もフワフワで感情の言語化や自己把握すら困難。
何が正解で何が不正解かも分からない。
かつ人はみな孤独でコミュニケーションであり、それを解消することも根源的に不可能。
でも。でも。
我々は生きていくし、私たちの足元には日常がある。
この日常の中を「歩いていく」ことだけが、私たちに残された唯一の前向きなアプローチであるし、それにより上述の困難や不可能性を「日常の中に溶かしていく」ことが出来ればそれで良いんだ。
それこそ「生きていく」ということなんだ。
というメッセージを、このタイトル・インからその後の展開で「映像だけで雄弁に」語りかけて来る。
なんつぅラストだ。。と驚愕しました。
私、しっかり映画を鑑賞し始めたきっかけとして、園子音監督の『愛のむきだし』のラストシーンに心奮わされた体験が一つあるんだけれど、ラストシーンの衝撃という意味で、そのレベルに拮抗するようなものを感じました。
なんかこう、人にお勧めするような作品なのかも分かりませんが、私の中ですんごい作品になったのは確か。