【自分の感情は、
自分のものでしかない】
この作品は、非常に重くて、苦しい。
苦しいけれど、生きていく上で、
向き合う事が必要な事でもある。
人は、どこまでも「ひとり」であり
「孤独」である。
このどうしようもなく苦しい事実を、
辛辣に描いた秀作だと思う。
いっけん、主人公の行動も、
その周囲の人々の言動も、常識はずれで、
ただの胸糞悪い作品になっているので、
注意が必要だ。
人の善悪の境界は、不明瞭で、
いとも簡単に覆る。
そういう側面でも、
この作品は、リアルで際立っている。
気分の晴れやかな映画ではない。
けれど、妙子の感情に是非、
寄り添って鑑賞してみて欲しい。
彼女を通して見える重くて暗い孤独は、
人間誰しも内包しているものなのだ。
⭐️以下、ネタバレです⭐️
とにかく、
胸糞悪い展開がずっと続きます。
義父は、妙子の事を「中古」と呼ぶ
義母は、亡くなった孫の遺体を、
マンションに入れて欲しくないという
義母は、結婚に反対していた義父を、
牽制し、妙子の味方のように
振る舞っているが、
「本当の孫をね」と言ってみたり。
息子が溺死してからは、
デリカシーのない事をいう義母を、
今度は父親が、制する。
けれど、そうする理由には、
自分がカラオケを歌っていなかったら、
孫が浴槽に落ちた時の音が聴こえて、
助かっていたのかも知れない・・・
という後ろめたさもあるような気がするし。
気に入らなかった嫁が、
息子(連れ子)を亡くし、
同情したのかも知れない。
そして、夫は、子供を失った翌日には、
お祝いの飾りつけをはずし、
平然と遺影の写真を探していた。
妙子は、近いと思っていた人々との、
温度差を否応なく、感じるしかなかった。
そんな折に、現れたのが元夫で・・・・
彼女は、唯一、
この悲しみを共有できるのは、
この元夫しかいない・・・と依存していく。
自分と元夫の子供だから、
共に心の底から泣けるのだ。
けれど、その夫もまた、
同じ温度ではなかった。
夫には別に息子がおり、
亡くなった息子の悲しみが
全てではなかった。
息子を突然失った悲しみや、孤独は、
共有できないものなのだと、
韓国の地で、雨に濡れながら、
ユラユラと感情に身をゆだね、
妙子は、実感したのかも知れない。
自分の抱える孤独を知って欲しい
共有して欲しいという希望を手放し、
すべての感情を受け止め、
抱えながら生きていくしかないのだと。
だとしても、
人はひとりでは生きていけない。
同じ熱量でなくても、
悲しみを共有出来なくても、
そういうものだと割り切れる力が、
人間には必要なのかも知れない。
胸糞悪い展開だったはずなのに、
最終的に、すごく自分の胸に
ストンと落ちる感じが、
凄いと思う。
元夫についていこうとする、
非常識な行動もまた、
彼女の、すがる想いの末ならば、胸が痛い。
結局、人間が抱える感情のすべては、
自分だけのものでしかない。
悲しみも喜びも、
完全なる共有は無理な話で。
そんな中でも、
自分に寄り添ってくれる存在を、
受け入れていくしかないのだ。
自分の感情は、
自分のものでしかない・・・という
視点を得る事は、強さになる。
そうやって、妙子も生きていく。
孤独も悲しみもすべて抱え込み、
寄り添ってくれる人と生きていくのだ。
自分の感情は自分だけのものだ
という割り切りは、
自分を身軽にしてくれるかも知れない。
それは、
他者への期待や、共有欲求を
手放したからこその身軽さなのだ。
逆をいえば、共有出来ないと知る事は、
他者に優しくなれるという事でもある。
人の心を同じ温度で理解出来ている
という傲慢さを捨ててこそ、
そっと寄り添う事が出来るのだ。