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Coma(原題)
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『Coma(原題)』に投稿された感想・評価

[停止した"現在"は煉獄なのか] 90点

2022年ベルリン映画祭エンカウンターズ部門選出作品。セリーヌ・シアマやクレール・ドゥニ、アルノー・デプレシャンと同じくパンデミックによるロックダウンによって大作製作が滞った際、ベルトラン・ボネロも規模の小さい別の作品を先に作ることを決めた。本作品は『ノクトラマ』と同じく娘のアンに捧げられており、冒頭ではボネロから彼女へのメッセージが字幕で流れる。ロックダウンで部屋の中に閉じ込められた現状は、"現在"が停止し過去と未来が残された状態であり、過去に自らが得たもの/失ったものを省みる期間となった。誰もが言いたいことを持っているが、実際には何ができるだろう?2014年頃から"ジェスチャー"のように簡潔で明確な作りたかったが、今がその時なのだろう。これは愛するあなたへのジェスチャーなのだ、と。

物語は前作『Zombi Child』にも登場した Louise Labèque 演じる名もなき少女の視点で語られる。彼女は作中で自分の部屋から一歩も出ずに、18歳というかけがえのない一年を過ごしている。部屋は過去のもの(物質と記憶)で溢れており、恐らく暇すぎて引っ張り出してきたのであろうドールハウスやバービー人形がベッドに向けて置いてある。また、少女はカリスマ配信者パトリシア・コーマの動画を何度も観ており、彼女が狂言回しとして物語を引っ張っていく。映画は少女の生活、バービー人形を用いたソープドラマ、パトリシアの動画、夜の森を彷徨う悪夢で構成されており、それらが相互作用しながら互いを往来する形で進んでいく。

ボネロはロックダウン生活を"自由意志のない煉獄"と捉えているようだ。その証拠として"リベレーター"という4色のボタンを記憶するゲームが登場し、どうやっても成功する=結果が最初から決まっているとしている。ならば人間とバービー人形にどう違いがある?少女はパトリシアなど周りにいる人間の発言をバービーソープドラマへと落とし込むことで人間とバービー人形を同一のものをみなし(バービー人形は後半に向かうにつれて動きが滑らかになる)、パトリシアはそれを引き剥がせるかの証明を行おうとする(曰く"心を失えるのは意識のある存在だけ")。また、どうやって来たかも(過去)どうやって抜け出すか(未来)も分からない夜の森は、停止した現在そのもの=煉獄を可視化しているのだろう。それを含めて同じ場所を何度も訪れたり、同じシーンを(バービー人形やアニメーションで)繰り返したりするのは、停滞した"現在"という時間の曖昧さを、確実に存在する過去と未来の共存として表現しているのだろう。全体的にごちゃごちゃしている印象を受けるものの、内容としては整理されている。

ただ、遅きに失した感は否めない。確かに現在でも人との距離感は遠くなったままだが、本格的なロックダウンはとうの昔に終わってしまったので、実存の危機に陥るような隔離を描くのはちと遅すぎる気がする。

バービー人形の声をギャスパー・ウリエルが担当しており、本作品が遺作となってしまった。R.I.P.
3.2
【行き場のない私は「過去」から虚構を生み出す】
第72回ベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門にて上映されたギャスパー・ウリエル遺作にしてベルトラン・ボネロのロックダウン映画『COMA』を観た。『The Tsugua Diaries』もそうだが、コロナ禍において映画監督はどのような映像表現ができるのか悩みながらミニマルな作品を生み出した。ベルトラン・ボネロのロックダウン映画はある工夫によって興味深い退屈さが広がる作品に仕上がっていた。

時はロックダウン渦中。少女の退屈な日常が描かれる。彼女はYouTuberパトリシア・コーマの動画を観ている。彼女が不味そうなスムージーを作る動画、美術館にいる動画を観て時間を溶かしている。彼女はYouTube動画=過去と接続することで停滞した「現実」から逃避しているのだ。一人でいる。それは自問自答が広がることである。映画はバービー人形によるストップモーションアニメ、2Dアニメ、そして紫の森=悪夢を行き来する。自問自答するということは、異なる自分を現出させることであり、ある意味マルチバースだ。ベルトラン・ボネロ監督は様々な質感の画を用意することで内なるマルチバースを作り上げた。元々、彼の作品は現実から異界に結合するのを得意としている監督である。

例えば、『戦争について』では棺桶に閉じ込められるという体験を通じて、現実とそっくりだが変わってしまった世界を描いている。不思議な体験の手触りを抱きながら、マチュー・アマルリック演じる男はカルト教団のような組織に導かれ「模倣」をする。現実から異界にヌルッと放り込まれてしまう様が面白かった。『ノクトラマ/夜行少年たち』ではデパートに立て篭もる者が、デパートという停滞した時間の中で虚無を募らせていくこれまた現実と地続きな異界が描かれていた。

『COMA』では、YouTubeを通じて他者の過去を覗き込むことで、内に虚構が生み出され、その悪夢のような虚構によって時間が融解していく様を描いており、これまた現実と地続きの異界が広がっていた。

さて、本作を観るとピーナッツくんのMV「PetbottleRocket」とアプローチが対極なことに気付かされる。

ピーナッツくんのMV「PetbottleRocket」では、ピーナッツくんが部屋で動画を撮影することでかつて見たペットボトルロケットを超える大きなロケットを作り出せることを描いている。もちろんロケットは比喩であり、ネット上にアップされる面白い動画のことを示している。クリエイターであるピーナッツくんにとってYouTube動画は「未来」である。部屋(=現在)から創作することで「未来」を見ようとする様をMVで描いている。

つまり視聴者/クリエイターの意識の違いがこの2作品から考察することができる。視聴者にとってのYouTube動画は現在から過去への没入であり、クリエイターは現在から未来への没入といえよう。

面白い作品かと聞かれたら『COMA』は観る人を選ぶ代物であるが、それでも心に残るものがあった。

■ピーナッツくん「PetbottleRocket」MV ↓
https://www.youtube.com/watch?v=jtuGG35ofgw
主人公が『ダーリン・イン・ザ・フランキス』のゼロツーのTシャツを着ていて懐かしくなってしまった。