中国の若手映画監督コン・ダーシャン (孔大山) による初の長編で、中国の映画祭で多数受賞しただけでなくアジア各国の映画祭でも話題になった作品。
SF雑誌「宇宙探索」編集長の主人公が、中国の辺境にある村で発生した怪現象の真相解明のため、その編集部員達を連れて現地へと旅する物語。
80〜90年代に実際に存在した宇宙ブーム時代に創刊された「宇宙探索」の編集部が、いまや廃刊寸前の困窮状態という、いきなりピンチな導入からぐっと惹き込まれる。
宇宙人の存在探求に人生を注いだ (注ぎ過ぎてしまった) 主人公が完全に浮世離れしてしまっていることに対し、いい加減に現実と向き合えと冷たくあたりながらも、そんな主人公にずっと寄り添い続けてきたのだろうと分かる編集部員のキャラクターがとてもいい。
どう見ても人間としてギリギリな主人公を筆頭に、誰ひとりまともではなさそうな他登場人物達への愛ある描かれ方が素晴らしい。
描かれるほとんど全ての人物やモチーフが情けない空気を纏っていて、終始真剣な主人公とダサ過ぎる状況のギャップで起きる気まずい空気が本当に面白く、一般的なコメディ映画とは趣が異なった笑えるシーンが何度もある。
中国の代表的な物語「西遊記」の英題「Journey to the West」が副題に添えられてある通り、一行による中国西部への奇妙な旅がドキュメンタリーを模したスタイルで描かれるのだが、そこで映し出される中国辺境の村々の埃っぽさや圧倒的なスケールのロケーションがとても魅力的。
主人公のキャラクターの参照元は三蔵法師で、旅の途中で一行に合流する謎めいた予言青年は孫悟空、そして三蔵法師が天竺で授かる経典の教えが、今作において主人公がどうしても知りたいと願い、宇宙人に取材したかった真理なのだろう。
作品のタッチは一見オフビートなロードムービーで、手持ちカメラによるドキュメンタリータッチの画づくりをベースとしていて、撮影と編集の知識を持たない素人が製作したように見える稚拙なアングルやジャンプカットが多くありながら、実はカットの連続性や視点誘導等が計算されていて、物語に没入できるよう徹底的に配慮されている演出に驚かされる。
それに加えて、各章の扉画や重要なシーンでは、ドキッとするほど美しいアングルとレイアウトが唐突に入ってくる。
アートディレクションとテンポの緩急を完全に理解した製作者達による、作品全体を俯瞰で捉えたうえでのハイレベルな演出設計だ。
楽曲に関する演出センスも全篇を通して秀逸で、オープニングタイトルで流れるショスタコーヴィチのワルツ第2番 (キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」でも使われている) の使われ方も皮肉的に壮大で楽しいが、エンディングで流れるスー・ユンイン (蘇運瑩) というシンガーソングライターによる「生活倒影」の歌詞と旋律が作品鑑賞後の読後感をより強くし、また涙が出るほど感動してしまった。
なぜ主人公が狂信的なまでに宇宙人の存在に固執し、その存在との邂逅を願ってやまないのか。
序盤においては劇中の登場人物達と同じように理解も共感も難しく、憎めない変人といった視点から鑑賞していたが、終盤においてはその真意が分かると同時に、涙が出るほど共感してしまった。
私たちが宇宙に存在する意味とは何かという、極めてSF的でありながら人間にとって原初の謎に対して主人公が最後に見出す答えが、素晴らしく詩的で、このうえなく美しい。
この映画の物語が詩そのものであるといってもいいだろう。
観る人を選ぶ種類の作品かも知れないとは思いつつ、センス・オブ・ワンダーが秘められた物語が大好きで、かつカッコいい人々の成功譚よりもダサい人々の哀愁ある物語を好む自分にとっては、これからも何度も観返したいと思う、とても大切な作品になった。
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