[イラン、沈みゆく船、沈みゆく国家] 80点
モハマド・ラスロフ長編二作目。ペルシャ湾に浮かぶ朽ちかけた石油タンカーで暮らす不法占拠者たちの物語。タンカーはネマト船長(ネモ船長への目配せか?)と呼ばれる老人によって支配されている。彼は毎日のように船内を巡回して住民たちの悩みを聞き、女たちの内職や男たちの船解体を指揮し、外部との交渉も行い、なんなら娘の結婚まで斡旋し、子供たちへの教育も整備するというように、表向きは"慈悲深き"指導者である。一方で、自分の定めたルールに従わない者には容赦しないという一面もある。つまり、ルールを破らなければ彼は優しき父親的存在のままであり、船で暮らす人々は彼を信頼して生活している。そんな奇妙なまでに自給自足が成立しているが、実は少しずつ沈んでいる船というのは、現状維持で少しずつ死んでいく国家そのもののようだ。船には個性的なメンバーがたくさんいる。ずっと太陽の方向を見つめて何かを探しているサデグおじさん、船底の水漏れ区画に迷い込んだ魚を救出しているベビーフィッシュ少年、独自の発明品で船が沈みつつあることを指摘するも足蹴にされる教師、住民の少女を好きになってしまった船長助手アフマドなど、従順な住民たちに対して支配構造の枠組みから外れた比較的自由なキャラを重点的に描いている。特に教師とアフマド少年のエピソードは多い。教師は教育を任されているが、年次の違う子供もいっぺんに教えているため、教育の質が低下することを懸念している。あるとき、重油が採掘できるようになると、子供たちを動員して荷詰めから運搬までを丸投げするようになり、まるで人気取りのための"ままごと"の如く、あっという間に教育は放棄されてしまう。そんな中で教師は、船長に拒絶された船が沈んでいるという主張を授業の例文として子供たちにこっそりと読ませる。国内に残って戦う人間の戦い方をここに示したのだ。また、アフマド少年は船長が別に結婚相手を用意していた娘を好きになったことで、彼のルールを破り続ける。そもそも彼が夜中に彼女にメモを渡すシーンから始まり、二人が画面上で出会うことは決してないものの、中盤にもう一度訪れる沈黙のやり取りのシーンは非常に美しい。また、彼はルールを破ったことで罰せられるのだが、あまりの苛烈さに住民たちがドン引きしてしまい、船長をある意味で信奉していた住民たちの目線が徐々に観客サイドにスライドしてくるのが実に上手く描かれていた。
真っ青な海、外側だけ不気味など白い船、真っ白な窓からはみ出す鮮やかな色のカーテンなど、ビジュアル面も素晴らしく、『キシュ島の物語』『私が女になった日』等、マフマルバフ系列の映画の遺伝子を感じるなどした。また、アフマドが好きになる少女の顔には仮面舞踏会みたいな金のお面が付けられていて、一人だけ異常な存在感があった。劇中で一言も話さない彼女こそ、船長が"守り"たかった彼女の存在こそが、そのまま船長の守りたかった父権主義的現行体制だったのかもしれない。だからこそ、ラストでアフマドと少女は再会を果たすのは必然だったのだ。