三浦友和や江口洋介が絵を描く(揮毫)シーンは水墨画のダイナミズムが即物的に表現されているが、「絵に"命"があるかどうか」とか「"自分の線"を描けてるか」とか、目指すところが観念的でノリきれない。
直近で観たアニメ映画の『BLUE GIANT』でも思ったことだけど、題材(本作だったら水墨画、『BLUE GIANT』ならジャズ)の表現自体は良いが、劇中で主人公たちの表現がどのように変化していったのかが(少なくとも素人には)分からないのがこの手の作品の問題点。
主人公が自分の喪失と向き合うために実家の跡地に行くくだりは『ドライブ・マイ・カー』を思い出す。
あっちはヒロイン(三浦透子)の実家だったけど。