肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

ロストケアの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

ロストケア(2023年製作の映画)
4.1
その検事という日本や、正義を、背負っての論破の敗北は彼をダークヒーローたらしめるるか
日本版『ジョーカー』と言ってやぶさかでない。やぶさかでないけど、そう云う薄っぺらい評し方は果たして"正しいのか?"彼を祀り上げるのか、否か?
その正否を問う、個人の苦しみが社会に波紋を及ぼす"使命"と"運命(さもありなん)"な映画

めるるんです。
これ、"「感動作」ではない"ですよ?
「サイコスリラー」というジャンル系統のモノでもありません。
私が感じたのは、"「問題提起」に全フリ(振り)"という印象です。
だからこそ私はそこに"誠意"に似たものを感じた。

日本国民よ、さぞ悩め

と、その"普遍性"こそがさもありなんで、さもありなんとは"寄り添い"にも"十字架"(いつもなら言葉遊びで本編とのリンクを自慢気に使ってる所ですが、今回はその意図はなく掛けた気はありません)にもなり得ると、
ただ言いたい事は、この『さもありなん』を老親介護の本編と照らし合わせて考えて、「ほな、そうなるよねw」と嘲笑う人間になって欲しくないな、と。
『さもありなん』をそう捉えるなら、問題の深奥を見つめ向き合おうともしない、卑しい"大友側の人間"になってしまうので、悪しからず。

ラストシーン(斯波の犯行シーン)なんて、あれこそ感動シーンと捉えるなら、むしろ"ちょっと危ない"とさえ思います。「泣けるわ、エモいな😂」は『社会の穴』をまだスルー(見ないフリ)しているのでしょう…

当然のように原作は知らないので、Netflix『グッド・ナース』に類する映画かと思って臨んだんですよね。でもそっちは"生粋のサイコパス"として『死刑にいたる病』側の映画とすれば、今作は全く違う映画となりますね。
そしてこの映画は犯人がの「救った」発言は"ただの「サイコパス」発言ではない"物議を醸す意味を持った映画と様変りする『魔力』を持っています。
例として妥当としない人もいるかと思いますが、『アベンジャーズ』の「サノス」もそう感じたように"理念"や"視標"を持った殺人者(サイコと称しない)って"人を惹きつけ"たり"神格化"されるのです。
「理解」や「同意」を産むのです。
『グッド・ナース』は実際の事件からの映画化ですが、この映画の事件が「実話」とするなら果たして"社会はどう反応するか?"を想像したら、言っている事に理解がすすむでしょう。

『ジョーカー』は一般大衆に目に映る形で"エンターテイメント"に近い事を行い、度重なる偶然で"祭り上げられて"誕生した人物としましょう。
この映画の斯波(松山ケンイチ)は、親身にしていながらその親を殺害した顧客の枝分かれた"2つの反応"を中心に描かれ、「死刑の賛否」として見たことのある"社会運動"もチラッと描かれましたが、SNS全盛期の現代とすればまだこの「問題提起」に対する反応は"完全でない"と言えるでしょう。

そしてあなたは親を殺された子二人(社会)の反応の"どちらを信じるか??"

ここでこの映画の賛否、評価も大きく変わってくるでしょうが、それを加味しても片方の子の裁判公判での「人殺し!人殺し!」の連呼する反応に"嘘臭さを感じていませんか?"
と質問を投げかけます。

彼女(娘)の限界点に到達している苦労生活、そしてこの"介護苦"を理由にする「親(族)殺人」が頻発する疲弊した社会現状を鑑みれば、
"本心"はどっちだ?
と考え、悩むべきなんです。

"論破の敗北"、つまりは"正義"を象っているはずの検察(者)の論戦の「敗北」と序文に明示していますが、
"斯波の物語でありながら、主人公、向き合うのは大友秀美(長澤まさみ)"の映画なんですよね。
それが次第にわかる"伏線回収"で一気に大友が自分の事件、「自分の物語」と化していくストーリーテリングは見事で、『ある男』にも近い構図の印象を受けます。

でも、この映画のテーマだと、親身・身近に感じる事は可能でも"視点すり替え・矮小化"した事による"逃げ"と捉える事も可能だと感じてしまった部分もあるのです…
でもでも、"「正義」を盾に封じ込める事がでない事件として「茶を濁す」"事で、『(問題は)未解決事件』として我々鑑賞者にずっと"投げかける"形で心のどこかで澱となって存在し続ける事を感じさせる事に成功しているのです。

まただ、まだ言いたい事を1/3も語っていませんが、『PLAN75』もそうですが、この映画こそ「高齢化社会」の"世界が他人でいられない問題"として、映像面のちょっとした意識高さに鼻につく部分がありつつも、"世界に輸出するべき映画"だと思います。
映画界の影の大黒柱柄本明さんと共に・・・