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太陽を抱く女のotomisanのレビュー・感想・評価

太陽を抱く女(1964年製作の映画)
3.6
 誰がなにを抱いたとな?

 終わってみればヒロイン?真理明美が家政婦で入った代々木上原の家のみんながそれぞれ夢か希望か何かを抱きとめた格好なんだが、肝心の真理はテレビ通販ショーかな?飛び入りモデルの急ごしらえにもかかわらず業界のスカウト連が目を剝く大新星と囃されてもちっとも嬉しそうでない。それどころかついにドラマ出演の話まで出る引く手あまたにもどこか覚めていて、雇い主代々木家族のみんながそれで動揺するなか多方面で「お手伝いさん」に徹するという。
 シンデレラ真理なはずが「わたしは」と口にすれば「裏方がありますので」とスルリと躱された恰好でどこか食い足りない。

 あんなにくっきりした顔立ちな真理のわたくし性という人間的芯、確かに将来の考えあって単身東京にでてきたしっかり者で、浮薄な業界人に容易く翻弄されないと示す辺り、人間の芯は鋼鉄製とはいえるだろうが、強いばかりが人ではない。見知らぬ都会での想像もつかぬはずの転変に対し真理の態度も心情もなぜ揺るぎないのか?そもそも上原からフジテレビまでどうやって向かった?当然タクシーを勧められたろうが、真理の事だから交通事情を見ながら河田町まで都電に乗ったかも知れない。

 そんなドラマチックな芯を欠いたホームドラマだが、大家族を切り盛りする長女の仕事人間な夫とのすれ違う微妙や縁遠い次女の結婚危機、三女の連れ合いの浮気発覚で破局秒読み開始だの、真理モデルを得た長男の絵描きブレイク、実は真理に気がある?次男の小ざっぱりなんかが真理の回りをグルグル回っているのである。その脇では親父周二が昔なじみの貞子、実は真理のおっかさんだが、その昔なんの心当たりもなかったのか?この一点だけ未解明のまま迎えた二人の再会の頓馬なようすにやっぱりないのかと打っ棄られた気分になるのがなんだか空々しい。
 そんなあっけらかんな最後が大家族の合同大祝宴、きっとこれをもって核家族に散ってゆく事になるのだろうが、これもヒロイン真理は最後まで裏方を勤めて閉じるという。主家の栄進の騒がしさを余所に無言で不在な真理のなんともうら寂しさが曳くあとも残さず忙しさに塗り込められてゆく。いったい何を見てきたのか、なかなか不思議な映画だ。
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