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逆転のトライアングルのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

逆転のトライアングル(2022年製作の映画)
1.5
[またも金持ちを嘲笑うオストルンド] 30点

2022年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品、パルムドール受賞作。リューベン・オストルンド長編六作目。前作以来のコンペ選出なので、二作品連続でパルムドールを受賞したことになるが、残念ながら初達成はミヒャエル・ハネケ。本作品は三部構成となっている。第一部は主人公でもある"カールとヤヤ"の名前を冠している。モデルでインフルエンサーの二人が如何にして知り合ったかは謎だが、現在では明らかにヤヤの方が稼いでいるので、カールは卑屈になって不均衡さを嘆いている。第二部"ヨット"ではフォロワーの多さを買われて高級クルーズ船に乗船した二人が、金持ちの世界を垣間見るのだが、まあわがままな金持ちとゲロとウンコが出てくるだけで終了。以前『人生狂騒曲』の評で"カンヌはゲロ出しとけばグランプリ貰えるのか?"と書かれていたのを思い出した。しっかり最高賞もらってますよ。第三部"島"は諸事情あって爆発四散したクルーズ船から逃げ出した数少ない乗客乗員が近くの島に流れ着いて、サバイバルを通して階級が逆転していく話である。しかし、動けるのは元トイレ清掃担当だったフィリピン人のアビゲイルだけで、機関室にいた黒人の青年もお荷物メンバーの一人にカウントされているので、別に逆転するわけでもない(後述)。

この映画のしょーもなさは冒頭数分で決まる。多数の上裸男性モデルを撮影する場面で、カメラマンがバレンシアガ!H&M!と交互に呼びかけると、モデルたちは前者では不機嫌そうな顔をして後者では笑顔を作る。それによって後者が安っぽいブランドであることをイジっているのだ。映画は終始こんな感じの、議論も批評性もない軽薄な煽りを繰り返すに留まっている。恐らく、オストルンドはシニシズムと鋭い批評/考察との違いが理解できていないのだろう。第一部で男女間の不均衡さを嘆くカールはお金とジェンダーロールの話を持ち出すが、ヤヤの出す結論は"お金の話はセクシーじゃない"だし、モデルの仕事を抜けるにはトロフィーワイフになるしかないとか、食事の写真だけ撮って食事自体は食べないとか、時代遅れなインスタグラマー批判を繰り返している。第二部では"クソ(=農業用肥料)"を売るロシアのオリガルヒや手榴弾を売る温厚そうな老夫婦など人間味のない戯画的な存在ばかり登場させており、彼らが食中毒でゲロとウンコまみれになるのを楽しそうに撮っている。オリガルヒとウディ・ハレルソン演じる飲んだくれの船長は共産主義と資本主義についての深みのない引用の投げつけ合い、それによって何かを語ったつもりになっている。極めつけは、第三部でのサバイバル茶番だが、我々がよく知りもしないアビゲイルが独裁体制を取ることで、確かに金持ちは悪者だが、プロレタリアートはこれまでの鬱憤を数十倍にして返すような、もっと危険な悪者になり得る、と言っているようにも見えてくる。嘲笑の的になったブルジョワ観客たちも、終映後はスッキリした気分で帰宅できることだろう。

この映画は褒めても貶してもオストルンドはバーカバーカと煽ってくるだろうし、もう観た時点で負けなのだ。こんな産業廃棄物に最高賞なんかやるなよ。
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