Paula

ヒンターラントのPaulaのネタバレレビュー・内容・結末

ヒンターラント(2021年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

撮影法:グリーンバックとブルーバックがあるとするなら?
何故?本作の映画製作者はブルーバック撮影法をチョイスしたのか?
その答えは... 映画『ヒンターランド』を見ればわかります。意地悪でした。どうもすみまぁ~しぇ~ん⁉

冒頭のナレーション
オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊のあらまし
The world war is lost. Austria is
shrinking from a proud great power
to an insignificant small state.
The emperor abdicates, the republic
is proclaimed. War returness come to
a world where nothing is like it used
to be. Some years after the end of
the war.

上のセンテンス、ディストピアである暗黒世界観を具象化したものが...
この映画では誰一人として”幸せ”な登場人物はいない。
愛情がないのを知っていて女性の寂しさに付け込んで同僚の奥さんとの後ろめたさを抱えるクソ野郎(汚い言葉、失礼)。若くて美人でしかも有能な法医学者なのにその首筋には生死をさまよったのではないかと思われる程の傷が刻まれている。戦地から戻ってこない兄の消息をあてもなく探し続ける若い刑事。そして主人公であるペーターはすべてを失い、その中でも最愛の妻と娘を...
そんなこんなで本作を観ているとサタンとの賭けのために妻や子供、すべての財産を失い、その上、更にボロボロの皮膚病に罹る Abrahamic religions 界の“3大義人”の1人、ヨブさんのような?

ヴィジュアル的には動かない静止画の二次元的な背景に演技者の人という動的であるが為にあたしの脳ミソ・ウニがどうしても三次元的に捉えてしまう人の動き。そのことから人物と背景のかい離が冒頭の輸送船から見た風景であり景色のシーンから始まっている。
認識的差異が引き起こす違和感に通じるのか?
それをあたかも具現化したものがチェコの伝統的人形劇であり、また同じ国から生まれ育ったストップモーション・アニメーション「トルンカの作品群」のように

ミヒャエル・ハネケ監督による初期の傑作『ファニーゲーム』において主人公が客席に向かってウインクをした時 "第四の壁を壊す" 行為とされているがこの作品『ヒンターラント』では、登場人物は決してそんなことはしないまでも実写映像と背景画を合成する技術マットペイントによる物言わない遠近法を完無視した歪んだ背景がそうさせているのではないか?という錯覚を抱いてしまう。第四の壁自体が架空のもので映画の虚構の部分と観客の現実世界との隔たりの概念という事で別に人でなくても良いかなって... それが何か?

映画を面白く、見ているものを引き付けるファクターでもある殺人鬼によるフーダニット的プロットはサブプロットの範疇を超えることはない。むしろメインプロットとしての存在は、ペーターの精神的解放を描いていると個人的にはとらえている。

明るいピーカンの空のもとでは色調からその特性を活かしたグリーンバック撮影法が使われるとされている。でもペーターの憂鬱感、悲壮感、絶望感といった心の闇はブルーバック撮影のほうがいいかなって?

It's nice with you now and
tomorrow is tomorrow.
終盤には二つの悲しい別れがあり...
一部マットペイントがあったとしてもラストはブルーバックでは撮影されていないごく普通で自然な数分間の映像となっている。そこにはこの映画のテーマの "許し" であり、"復興" をペーターという人物を通して人間レベルで主張しているのかもしれない。
Paula

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