SPNminaco

帰れない山のSPNminacoのレビュー・感想・評価

帰れない山(2022年製作の映画)
-
氷河は長い時間と後悔を閉じ込めてそこにある。トリノの都会っ子ピエトロと過疎の山村で最後の子どもブルーノは、夏休みの思い出を残してそれぞれの人生を歩んでいく。少年時代の心躍る喜びには苦い現実が入り込み、山から響くのはノスタルジックなフォークソングと、静かに不穏な電子音の波長。そして過去形で語られる物語は、失われた時間、不在の空白を突きつける。
ヒゲ面の大人になって再会を果たした2人の時間は、夏の山でまた動き出す。けれど土地には固有の言葉がある。都会人から見た自然は地元民にとって名もなき日常風景、労働と生活は夏のヴァカンス以外にも続く。山でしか生きられないブルーノは、自分の居場所を探す旅人となったピエトロだけが外に開かれた窓だった。
山の民と放浪者、夏の山と冬の山、ピエトロと山での呼び名ベリオ、都会での父と山での父、異なる2つは兄弟みたいに一対だ。2人は平行した等高線。幼い頃ピエトロの父と一緒に登った氷河のクレパスは、互いに手を伸ばせば越えられたが、大人になると越えられない一線となる。
「2人の家」は居場所であり逃げ場。アルプスからヒマラヤへと、ピエトロもまた山を求めていて、山は男たちの心の傷や喪失を閉じ込めた、或いは封じるための密室である。ピエトロとブルーノ、ピエトロの父は妻や恋人、母親がいても山へ篭っていく(そして女性を介してお互いの様子を知る)。ピエトロ父子は書くことで頂上から俯瞰できるが、ブルーノは生い立ちから外へ出る術を閉ざされている訳で、ベリオことピエトロが定期的に訪ねてくるのを待つしかなかった。ぽつんと取り残された木のように。
かように、感情や弱さを表に出して助けを求められない男性性の悲劇を扱った映画だ(山自体が男性性の象徴だし)。1人ではその重みに耐えきれす押し潰される。そこが辛いし、マチズモな国イタリアの映画である意味もズシンとくる。
山景色は抒情性を抑えてシネマスコープでなく狭いスタンダードサイズに収めてあり、聳え立つ山々は世界を隔てる冷酷な壁のよう。でもエンドロールに浮かび上がる稜線はちょうどあのサイズにぴったり、やはり恐ろしいほど美しい。ディティールの描写や時間の扱い方、とりわけ終盤は行間から滲み出る死の気配がそのまま小説を読む感じで素晴らしかった。
SPNminaco

SPNminaco