フランス版『シティーハンター』のスタッフとキャストで送る“あの”ヒーロー達をモジッた作品、『バッドマン』。
思いのほか寄せにきたな。ギリギリアウトのレベルで。よくこれ許されたな。フィリップラショー、恐るべし。
『シティーハンター』はそもそもがそう言う話なのでそれがある意味忠実にハマってたが、これはその“それ”が“あの”ヒーロー達の世界に手を出した、、、恐るべし。こいつら、ある意味、怖い者、ナシ。
うだつの上がらないしょうもない俳優が、しょうもないすったもんだの果てに“あの”ヒーローの映画の主演を勝ち取る。
勝ち取って撮影開始した矢先に事故って記憶喪失。
しかし、目覚めた車内には、記憶はないのに、身に付けているのは“あの”ヒーロースーツ。お金やら何やら入ってるバッグ。
、、、俺は、なんだ、もしかして、人知れず悪を淘汰するヒーローなのか、、、、と。
ものすごいスイッチの入り方。そして、ものすごい運の良さ。
映画の衣装や特殊効果なので、実際の効力はほぼない。しかし、その効力がないアレコレで、アレコレを切り抜ける、そして、そのアレコレはホンモノで全ては自分の力だと何ら疑いもしない主人公。
わかってて何とかしてるのではなく、わかってないまま自分で首を突っ込み、映画の設定を1人で信じきって日常生活に持ち込む。
彼1人だけが観ている視点と世界と背景が違う。
なのに、何でか話が繋がり、現実世界の方での実際の事件や陰謀に関わりはじめ、勝手にほいほい渦中に入り込んでいく。
“無知の知”なんてもんじゃない、“運が良い”なんてもんじゃない、“漁夫の利”なんてもんじゃない。
彼のやたらと熱い“ヒーロー魂”。もともとそう言うのに憧れてる“中二病”みたいなものがある意味で最強のモチベーションと化す。
脚本というのかこのストーリーラインと構成がエンタメとして出来上がってる。さすが『シティーハンター』を実写化しただけのことはある。
一切の手加減や、遠慮はナシ。
何なら、必要以上に本家の方をパクりまくる。
挙句の果てに“あの人”を実名で「隣のスタジオで撮影している!」として存在させ、それだけで満足せず、いじり倒す。恐ろしい。
でも、“あの人”なら「良いじゃない、良いじゃない」とか素敵なスマイルで言い放ちそう。
っていうところまで計算してる感がある制作陣の末恐ろしさを節々に感じる。
この清々しさ。振り抜く勢い。
ふざけた映画でいちいち茶化しにかかるのに、何故だか風格があり、やり切る。
不真面目に笑わせにきているのではなく、最初から最後まで誰も彼もが真面目にやり切る姿が笑える構造が恐ろしい。
あの“妄想癖”とか何なのか。
やたらと忠実すぎるアレコレシーン、、、のアホ崩し、最高。
ツッコミする暇すら与えない上塗りに次ぐ上塗り。
さらに独自の暴走、暴走、美女、暴走。もはや“パクリ”の次元を大きく超えたフランスコメディヒーロー映画。
絶対に頭良くないと作れない映画。
こういうエンタメ、やっぱ好き。楽しい。
結局こいつらみんな“あの”ヒーロー達が大好きなんだな。
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