このレビューはネタバレを含みます
◼︎空白、妖怪の孫が面白かったのでチェック。
◼︎舞台となる山間の架空の村は長閑で美しい神社の鳥居と産業廃棄物処理場が同じ谷間に恣意的に並べられており象徴的な構図に見える。この処理場は明らかに村の規模に対してオーバースペックで、受け入れに際しては賛否が分かれたらしい。この反対派を主導していた男は、現村長の古田新太が主導する賛成派による嫌がらせを受けて精神を病み、一部の賛成派メンバーを殺害、屋敷に火をつけ自身も焼身したという。重松清の「疾走」は放火魔の弟の物語だったが、本作はこの男の息子が主人公である。木造建築の多い小さな村社会において放火は重罪で、以降母親も息子もまとめて村八分の対象となった。母親はアルコール、借金、ギャンブル漬けで社会性を喪失し、息子が皮肉にも処理場での仕事で日銭を稼ぎ親子二人の生活を成り立たせている。
◼︎・・・という設定の大部分が冒頭数分の映像だけで説明されるため、「こういう解釈だけど合ってるんだよね?」と前半不安になってしまった。
◼︎主演の黒木華さんをめぐる横浜流星vs. 一ノ瀬ワタルのガチンコラブバトル。(ミスリード)一ノ瀬ワタルさんのイキリ系ジモヤン感、中ボス感が最高。当の黒木さんはむしろ積極的に横浜流星さんを口説き落としねんごろに。小さなコミュニティ内での色恋はすぐ広まるので帰り道とか工夫しないとまずいのでは、と思っていたら。言わんこっちゃない。
◼︎作中で何度も言及される「邯鄲の枕」は浦島太郎的なお話(適当すぎる理解)。終盤に差し掛かる頃、時系列がブツっと飛んだかと思えば、唐突に主人公にとっても村人たちにとっても都合の良すぎる人生逆転劇が始まる。これは無限月詠かーと思って眺めていたら現実の展開で驚いた。夢モチーフはフリで、オチは現実の非情さ、脆さ、因果応報になっている辺りは見事な脚本だと感じた。
◼︎「東京にもなんにも無かったよ」という黒木華さんのセリフが印象的。舞台となる「村」は実在する集落の脚色とも「日本社会」そのもののデフォルメと取れるようにも描かれている。特徴となるゴミ処理以外の産業が登場しないし、村人も共通語も話すし。どっちでもいいけど。