超絶大傑作。1968年のヴェネツィア映画祭に監督二作目『Zbehovia a pútnici (The Deserter and the Nomads)』を出品したユライ・ヤクビスコは"スロヴァキアのフェリーニ"という称号を手に入れる。そんな彼も、同年に発生したプラハの春に対するワルシャワ条約機構の軍事介入を目の当たりにし、フランスと共同資本で本作品を製作し始めた。翌年に封切られた本作品は当然の如く当局から上映禁止とされ、カレル・カヒーニャ『耳』やイジー・メンツェル『つながれたヒバリ』、そして前作などと全く同じ運命を辿ることになる。それはヤクビスコの監督生命も同じだった。