2007年既にこれを撮っていたことに今更ながら驚かざるを得ません(あの芸人さん風に)
カメラがiPhoneになっただけのことで、神様、我々は赦されるのでしょうか?は今なお解決しない問題として毎日のSNSやニュースに問いかける。
1985年に米国の中東に対するヘイトを炙り出し、1979年には消費社会へのアンチテーゼを唱えた。00年以降のメディアへ在り方を問いながらの志半ばでの他界。
今や「○○ゾンビ」と、なんとかの一つ覚えで使いまくられている生きる死人の固有名詞を生み出した本人なのに、パブリック・ドメインと化したことをものともせず時代の首元をゆっくり噛みちぎり続けた御大に死者の幸あれ!
地上波で流すには辛味がきつ過ぎる作風も全く衰えず、地獄が溢れてきた定義はブレず、決して走らず。
2024年の今も
私たちは歩く屍と大して変わらない生き方しかできていない。
そこに大差なんてないことは
ずっと前からわかっていたことなのに。
つまり彼らは(ゾンビ)は我々なのです
90年代FANGORIAのインタビューは
色褪せないどころか、この作品でさらに色濃く絶望的なまでに突き抜けた。
ほら
早く食糧と水を確保しなきゃ
今も
生きたふりして
そんな奴らばっかり