マインド亀

ゾン100 ゾンビになるまでにしたい100のことのマインド亀のレビュー・感想・評価

2.5
まだ抽出出来るところはあった。無駄なところはたくさんあった。

●あんまり頭を使わず観られるものを探してたんですが、観たあとやっぱり頭と時間を使うハメになった一作でした。
なにがダメだったのか、逆にアニメはやっぱりつまらないのか、などと考え込んでしまいました。それで一応アニメの方を3話ほど観たんですが、こっちはちゃんと面白かったんです。なので余計に悩んでしまいました。

●あまりなんでよくないかを探すのも本来はやりたくないものですが、Filmarksのレビューを観ておりますと、この作品をゾンビ映画と取るか、漫画原作のコメディととるかで評価の論点が変わってくるので、色々と整理したほうが良いのかなぁと思いました。

●まずゾンビものとしての評価ですが、やっぱりアニメを実写化したことで、作品のリアリティラインが中途半端になってしまいました。アニメならアニメ表現のケレン味などによってリアリティラインを補完できるのですが、実写化することで、他のゾンビ映画と引けを取らないリアルな映像になってしまった。なのに主人公の行動がありえねー!ということになりゾンビ映画ファンは憤慨してしまうのだと思います。
ゾンビコメディとしてはやはりサバイブのHowtoを描いた傑作として『ゾンビランド』がありますが、比べるまでもなくゾンビからのサバイブにおけるリアリティのバランスが上手く行っており、『ゾン100』が目指すべきはここでしょう。

一番あれ?となるのは主人公が焼肉のタレを買いに行こうとした次のシーンにはコンビニに着いているところです。普通ならどうやってそこまで行けたかを少しでも触れるところです。
アニメですら、自転車を追いかけるゾンビの描写があるのにですよ!?
同じくケンチョを救い出すシーン。アニメなら屋上からジャンプで隣のビルに移るというアニメらしいシーンですが、なんとこの映画ではそれをバッサリカット。
いつの間にか屋上から、次のシーンではレストランに移っている…オイオイオイオイ、それはいくらなんでもやっちゃいけないカット繋ぎでしょう!

あと、ストーリーの進め方によってゾンビの多さが都合よく変化する。ゾンビだらけの外からドンキに入ったのに、外に出るとほとんどゾンビがいない…
この辺あやふやすぎてしらけるんですよね。
3人が楽しそうにレジャーをするシーンなんかはゾンビが本当にいない。居ても襲ってこない。
3人でバーベキューを楽しそうにしてるシーンは流石に「噛まれて4ねよ!」と思ってしまいました。

あと、アニメなら気にならない、大声出しすぎ問題が、実写ならイライラするレベルにうるさい。アニメ版すら「やべえ、大声だしすぎた!」って言ってるのに、実写版はずっとうるさい。

なんでしょうね、アニメ的なリアリティラインの低い描写(例えばビルと、ビルの間を飛ぶなど)は削られてるのに、普通のシーンが一番リアリティが無い。中途半端なリアリティライン。こうなると声のトーンだけでイラっと来るんですよね。

●漫画原作の映画としても、やはり2話観ただけでも抽出すべきところが微妙。
もっともこれ省略しちゃだめなのでわ?と思ったのが、シズカの「ゾンビにならないためにすべき100のこと」リストでしょう。もちろん時間の制限があるためにアニメ版のようにシズカ側の描写を描くことは無理でしょう。ですが、このリストをちらりと見せることくらいはできたのでは?別にキャラ改変とかは全く問題ないですが、このリストがアキラの「ゾンビになるまでにしたい100のこと」との対比になりますし、なんなら『ゾンビランド』の「ゾンビの世界で生き残るための32のルール」のオマージュになったにもかかわらず…制作陣は『ゾンビランド』みてないのでしょうか?
このリストがあることで、『欲望を持たないことの虚しさ』と『生きるための自己抑制』との葛藤がもっと深くなったのに…と思いました。

また、やっぱりアニメ版はブラック企業の描写が上手い。文字通り灰色。そして陰惨。3年の辛さ。それに比べると実写版は1年?そしてブラック加減が中途半端でした。アニメ版は主人公以外もパワハラを受けていて、本当にヤバい会社ということがわかりました。実写版はなんか、主人公だけがヤバいことになってる感じに見えるんですよね。
そしてアニメ版は社畜のお先真っ暗なところから、ゾンビパンデミックにより色彩が豊かになって弾けるような開放感があったのですが、実写版は普通。むしろ単にうるさいだけ。対比がうまく描けてない。

ケンチョもアニメならちゃんと最初から「人を笑わせたい」って言ってましたし、ケンチョのギャグ(ゾンビから逃げながら裸芸をする!)がリアリティラインを下げていたのですが、実写版は最後に突然取ってつけたかのように最後に「芸人を目指す」的な事になって「へ?」でした。

●あと、単純に映画としてイライラするのは、邦画ホラーにありがちな、さっさとこっちに逃げろよ!問題。
あとちょっとこっちに移動すれば助かるのに、わざわざ振り返ったり躊躇したりするの、もう『カラダ探し』の橋本環奈以来久々にこの件でイライラしました。

また、傑作アクションは舞台の図面や地形が頭に入りやすいと言いますが、本作のラストの水族館、全くどうなってるのかわかりません。ゾンビを囲ってる部分の仕組みもわからないしどうやって一人のゾンビがトラックに付いてきたのかもわからないし、最終的にゾンビに汚染されるゾーンとセーフティゾーンがどこで区切られてるのかもわからない。ラスボスを倒したところで、みんな駐車場で水族館から出ていく準備をしてるのですが、駐車場は、なに?壁かなんかで区切られてるの?それとも私がなにか見落としてるの?

そしてやはり実写版はセリフの削ぎ落としをしてほしかった…
切羽詰まってる状況なのに登場人物の心情の吐露が長すぎてイライラしました。
アニメってやっぱり、時間の使い方は観客側の脳内補完によって伸び縮みするんですよね。だから長いセリフも「これは短い時間内の会話なのだ」などと思って気にならないんです。
なので実写番ならではのセリフ使いはやっぱり必要だとおもうんですね。
ほんと削るところたくさんありますよね。上映時間もムダに長いし。

あと、音楽のセンス悪すぎ問題。最近のティーンはこんな音楽の使い方で喜ぶんでしょうか?中学生の息子と観たのですが「ダサ!」って言ってました。やっぱり中学生でも『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の音楽使いのセンスは最高と思うようですが。Netflixお金あるんだからもうちょいこういうところにお金かけてほしい。と思いました。

●まあ、色々と辛辣な事を書きましたが、流石Netflix、破壊され尽くした街の風景やセットなどは違和感ないリアリティでお金がかかってる印象でしたね。ゾンビメイクもまあいいでしょう。またその辺が本作のリアリティラインをあやふやにしてるのかもしれませんが、初っ端からあのゾンビシャークみたいなんを出してればリアリティラインを一気に下げられたのになあ…と思いました。
なぜかあのゾンビシャークだけはB級ホラー作品テイストなんですよね。
そんなことを考えてるとやっぱり、

『この映画のやりたいこと』

の抽出とテイストのディレクションが中途半端だったと思わざるをえません。流石にどっちかに極端に針を振るのはリスキーすぎると思ったんでしょうか。なんとまあ、中途半端な一作だと思いました。
そりゃホラー側からもアニメ漫画側からも怒られるわ…
マインド亀

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