マインド亀

蛇の道のマインド亀のレビュー・感想・評価

蛇の道(2024年製作の映画)
4.0
復讐の虚無感と母の决意の完全なる融合
柴咲コウのネクストステージ

●前日にU-NEXTにて1998年版を鑑賞してから劇場で本作のリメイク版を鑑賞。
オリジナル版では哀川翔を主演に迎えた、ヤクザへのリベンジムービーだったのに対し、本作では舞台をフランス、主演を柴咲コウにする大胆なアレンジを施しながらも、オリジナルの良さと新たなテーマ性を融合させた『完全体』となっています。

●黒沢清監督がパンフレットで言うように、『復讐』の物語というものは痛快な話になることはなく、その純度を突き詰めれば突き詰めるほど、悲劇性が増していくのは当然の話で、オリジナル版もリメイク版も、相手が巨大な組織であればあるほど、芋づる式に殺すべき相手が増えて、復讐者は人間性を自ら次々と削ぎ落としていかなくてはならないんですね。
それを体現するのは、オリジナル版では香川照之演じる宮下辰雄で、本作ではダミアン・ボナール演じるアルベール。彼らは哀川翔演じる新島直巳や、柴咲コウ演じる小夜子の協力を得ながら、復讐に対する高揚感、そして一線を踏み越えたことに対する恐怖によって、どんどんと非人間的な側面が強烈になっていくんですね。だからこそ精神が決して強くはない彼らは宮下辰雄や小夜子に対する依存性が強く、精神的に誰かによっかからないとやっていけないんですよね。
一方で、宮下辰雄や小夜子は、最初っから全くブレの無い、成し遂げることを前提とした行動をとる。場を完全に支配するプレーヤーとして、もう既に「イッちゃってる」状態の絶対的強者なんです。
今作での柴咲コウは、フランス人に囲まれた唯一の日本人女性。ほぼ無表情で何を考えているのか全くわからない佇まいから、その存在は「異形」であり、彼女の「非人間性」がずいぶんと強調されているように見えます。復讐することで何も終わらない無限地獄にいることを既に悟っている彼女だからこそ、患者の西島秀俊に、自らを終わらせるよう自然と促す事が出来るんでしょう。オリジナル版の哀川翔の恐ろしさに匹敵する、違う怖さがありました。
そういう意味では、ダミアン・ボナールには、精神が崩壊していく人間の異常性が足りないような気がしました。香川照之がやり過ぎなのかもしれませんが、むしろまだ感情的になってるだけ、まだ「復讐」という目的に生きる意味を見出してるのかもしれないですね。香川照之はもう完全に「クリーピー」をこの時既に演じちゃってます(笑)

●今回非常に面白かったのは、肉体的に直接的なつながりのある母子と、そうではない父親との、子供に対する感情の決定的な違いが強調されていることでした。お腹に子供を宿した母親にとって子どもの存在は分身と言っても過言ではない、というところからくる性差でしょうか。これにより本作は、前作よりも「復讐」に対する理由付けがよりはっきりとしましたし、さらにまたラストのワンシーンで、小夜子は、よりひどい地獄に残り続けるという恐ろしさも加味されましたね。夫役の青木崇高の、小夜子のセリフに対してすうっと変わる表情は、まるでこの世のものならざる「鬼」と初めて対峙した人間の恐怖の表情でした。
とはいえ本作は女性が男性を駆逐するフェミニズム的映画かと言うとそうではなく、そんなものはもうとっくに乗り越えて、女性こそがもっとも恐ろしく強い存在になってしまっている。「母は強し」という言葉以上に、「子どものためなら地獄に行ける」という普遍的なテーマを捉えた映画なのだと思いました。

●私が考える「黒沢清らしさ」の一つに、ワンカットにおける光の変化があるのですが、本作でも一瞬で空からの太陽光が消える、天気を味方につけたミラクルなシーンがありましたね。アルベールが自転車に乗る小夜子を追いかけて工場を出るシーンです。晴天だった天気が、小夜子を捕まえた一瞬にひゅいっと暗い空になるんですね。『クリーピー 偽りの隣人』ではかなり計算された演出でそういったシーンがあるのですが、本作では偶然か、意図的なライティングなのかわからないのですが、これによって、小夜子が異形の存在であるかのような、一種の不穏感が演出されるんです。
また、物語が進むに連れ、生者の現実世界と、死者のいるあの世の世界が重なりゆくのも特徴の一つですね。
オリジナル版でも登場した、生前の娘のホームビデオをを流し続ける、なぜか山積みになったテレビ。そして空間内に無機質に流れ続ける、小夜子のアナウンス。ああいうちょっとリアリティとは少々かけ離れたディテールのガジェットや演出によって、物語はそのリアリティの輪郭をあやふやにし、地獄の門が開かれた状態にしていくんですね。
極めつけはあのオリジナル版でもホラー的でアイコニックな異彩を放っていた、仲良く横並びになった死体三兄弟です。とても恐ろしいのに人形のようにまるで楽しげに、仲良く並べられた死体達の、少しおかしみのある姿。まるで死者がこちらに手招きし、すぐ側まであの世が待ってるような、黒沢清独特の異世界感がそのままパッケージングされていたのも面白かったです。今作では割と明るく照明があたってて、ちょっと見せすぎだったかもしれません。どちらかと言うとオリジナル版の少し暗くてが見えにくい、Jホラー的な見せ方のほうが怖かったな、と思いました。
リメイク版では出なかったコメットさんもかなりの人気ですが、正直セルフリメイクとしてオミットされてても仕方ないのかなあという気がします。ちょっとあの存在感は、ほかを引っ張ってしまって本筋がボケてしまうかもしれません。

●とにかく、この作品を機に、オリジナル版『蛇の道』『蜘蛛の瞳』など、黒沢清監督の初期作品に触れ事が出来ました。『復讐』シリーズや『勝手にしやがれ』シリーズなどの哀川翔Vシネ作品も見直してみようと思いました。
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