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にわのすなば GARDEN SANDBOXのニューランドのレビュー・感想・評価

にわのすなば GARDEN SANDBOX(2022年製作の映画)
3.9
✔『にわのすなば』(3.9p)『西部戦線異状なし(2022)』(3.2p)▶️▶️

 『にわの~』は、年内に観たかった映画だった。劇場を捜してて分かったのが、30日になって。大晦日は仕事、元旦は劇場休みで、ずれ込む。評価も高いが、村上由規乃がかなり大きな役で出てるのへ、矢も盾もとなる。映画人への生涯一回だけのファンレターを工藤梨穂さんへと、以前書いたが、正確には村上さんのツィッターに併せてだ。それぞれ、作家·役者として飛び抜けた才能を持っている。昨年、工藤さんの健在という以上の傑作を確認したら、急に村上さんの作が見たくなった。あれ以降小バジェットの作では主演も複数やってるようだが、追っかけまで至っておらず、一般的話題作で2回ばかり見かけた位だ。瞬間写っただけで目に留まり、惹きつけ焼付け·かつ役に完全に収まってる。凄いし、メジャー作にも意識もせず、そのカラーが作品を厚くしている。
 十函という何の特色もない街(川口辺りにロケした架空か)のタウン誌を作ってるやたら地元「愛」とその(映像媒体も含めての)発信を謳い上げる情熱·磁力の体現者に、様々な偶然や意図的な関係での出逢い·再会が絡まり、醒めた中に、不思議な体感·記憶·呼応のムーブメント奇跡が、ひととき巻き起こる。学友に引込まれ取材もどき·一旦離れられ待ちぼうけ·泊まった家から稽古事先へ·そこが探しあぐねてた旧家·そこで相方の中学同級生だった別取材者とドッキング·取材提唱者や相方らとも集結して当初取材の鋳物工場で近隣者とハイな飲食と舞踏の夜へ。
 フィクス長め多めで、90°変やどんでん·振り向きて縦関連図·大Lや河面や空雲入れ、パンやフォローを控えめ混ぜてのスタイルは端正·丁寧に見えて、精密と言うには感覚的·ルースなもので、寄り図·斜め角度も迷わず選ばれもし、移動も時に枠を超えめに、定期の不条理を秘めた緊張感ある音楽が覆ってもくる。台詞廻しや動作に、紋切りぎこちなさも感じられる。外し方に狙いがあるにしても、底が浅い。
 しかし、中~終盤の村上登場以来からは、全ての要素がチグハグな上に、自然に無理なく観た事のない方向で繋がってもくる。結びつけるのではなく、端からあった筈のものを惹きつけるものとして顕在化させるのだ。それが、やり取りに途轍もない滑らかさを感じさせる。纏まりが前面に出てくるわけではなく、それぞれの人物の気儘で勝手なあり方は、寧ろ確定されてくる。相手に異を唱えるでもなく、その意向に沿うことを示しながら、旧家での揃っての昔のウェディングドレスW試着·寸法合わせ姿披露から、この地で特に流行ったローラースケートへの補助初試乗·独立性多彩化らの細部ニュアンスから、鋳物工場での夜間ダンス·酒盛りの、花火や飲食物麻薬性を超える、同性カップル?の覗いては確かめるかのようなポイント行戻りと·構わず離れて1か所狂踊絶えず止まらない姿の併置存在の、恐さ抜けたスリリングと活力の透かし現しで、ピークを迎える。
 学友に引っ張られての·知らぬ地探索、その学友と以前中学時訳あり?の古来建築や地理マニア、の若い女性のドッキングは、カップルに閉じこもらず、世界を掘り·耕作し豊かな芽を見出し、呼応ニュアンスだけで弾け自由で高め合う、別れもかっこいい、映画と現実の端境·蜜月を魅せてくれた。計算の消失したような無自覚的天才·村上由規乃と、感覚と計算を研ぎ澄ませた天才·清原伽耶の共演を、工藤の演出下、実現をみたく、アカデミー賞作品賞でも獲ってほしい。
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 その自由な力に対し、表現の可能性はややしぼむ有名作が、主の興行·配信界ではある。正月は通しでなく、飛び飛びで戦前名作の、舞台のドイツ製作でリメイク?『西部戦線~』もスクリーン外で見たが、第一次大戦の永く固定した侭の戦線の、武器·惨状·愚挙ばかりがエスカレートしてく、末期~停戦期を中心とした内容の、アカデミー賞外国語映画賞(今の呼称は違うみたいだが)も固いという再び名作の、『史上最大の作戦』の司令部から最前線の行動原理とシステム的愚かなジレンマ、『シン·レッド·ライン』の抑えて統制された抽象昇華美、『プライベート·ライアン』の制限をつけない戦闘描写の極限とそれへの貼り付き、『炎628』の戦争を通過する事と·人間の領域を越えたあり方のベタ恐ろしさ、らを抜け目なく網羅して、確実な戦争実態惨劇とその総体悲劇を与えてくれるやり方が、かなり凡庸には見える。対象はそうでも、筆致はより拡がった、それらに対し得る自由と詩を届けられる筈。戦前の名作にかなり及ばない。
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