ずどこんちょ

ザ・メニューのずどこんちょのレビュー・感想・評価

ザ・メニュー(2022年製作の映画)
3.9
人気のシェフによって繰り広げられる、高級レストランのおもてなし。
しかしそれは、シェフによって綿密に計画された死のディナーでした。ずっと見たかった作品です。

まず、見て楽しい。
芸術品のように仕上げた美しい料理の数々が登場します。本物のグルメを擬似体験するかのよう。
しかし、目の前の美しい料理に舌鼓を打つだけではグルメ家の彼らと同じです。
シェフが求めているのは、目の前の料理から何かを感じ、作り手側が何を伝えようとしているのかを考えること。
そのため本作では終始もどかしく、スカッとしない展開になっているのですが、なぜならそれはシェフの狂気の「理由」が明白に語られないからなのです。

なぜ客たちに混じってシェフの母がいたのか、なぜ彼女はずっと意気消沈した顔をしているのか。
なぜオーナーは天使に見立てて殺されたのか。
なぜ彼らが選ばれたのか。
その理由が明確に語られるようなことはなく、語られたとしても「そんなことで人を殺すか?」と思わされることばかり。シェフの人生が狂わされたという背景がはっきりとは見えてこないのです。
まるで私たち自身がこのレストランの客になって一緒に謎解きをしているかのよう。
真相を見抜いてこの狂気の外側から俯瞰することができるのか、それとも訳が分からないと不条理に巻き込まれていくのか。
シェフの綿密に立てられた計画に翻弄されていきます。

このレストランは厨房とホールが一体となっており、客席から料理人たちの調理を見ることができる構造となっています。
ディナーに招待されたグルメな客たちは、彼らの調理に興味津々。
このレストランでは有名シェフのスローヴィクの指揮の下、彼を崇拝する助手たちが料理を手掛けています。
スローヴィクの指示に的確に行動する彼らはまるで軍隊のように統率が取れているのです。冒頭でエルサが語っていましたが、彼らは日夜料理のために寝食を共にしており、彼らとスローヴィクの関係はまるで宗教上の教祖と信者のようなのです。

さらに料理を提供するたびに、スローヴィクは客たちの注目を集めてメニューのテーマを語ります。
一品目は海をテーマにした帆立のメニュー。岩場に見立てた飾りと一緒に採れたての海産物を味わいます。これは芸術的でシンプルに美味しそうでした。

二品目に出て来たのが、パンの乗ってないパン皿です。
パンに塗るソースだけは数種類あるけど、肝心のパンはない。パンはかつて貧困層の食べ物だったというシェフの物語に従って、富裕層のゲストたちにパンを出さないという構想です。
グルメな彼らは意表を突かれたメニューにひどく感心しますが、招かれざる客マーゴだけは呆れています。
食堂は食事を出すべきというマーゴの持論は一般的な価値観で、このレストランでは一般論こそ異質なのです。
しかし、グルメ家たちはこんな皿でも喜んで受け入れます。ジャムやソースに喜ぶなど後々から考えたら、かなり皮肉めいた一品でした。

そして運命の3皿目。ここから狂気が伝わり始めます。
タコス料理のトルティーヤに描かれていたのは、客たちが隠している秘密でした。脱税の証拠、不倫現場の再現、料理の写真をシェフに黙って隠し撮りする客の姿。
シェフが伝えたいメッセージが悪意に満ちていることを感じ取った客たちは動揺をし始めます。
やがてレストランに血が流れ、このディナーがスローヴィクとスタッフたちによる客を巻き込んだ心中であることが判明するのです。

スローヴィクを演じたのはレイフ・ファインズ。
物静かな語り口の向こう側にこれから始まる作戦を見据えた冷ややかな執念が感じられます。
シェフとしての地位と名声を得て狂気が芽生えたスローヴィクは、もはや芸術家そのものです。
マーゴがスローヴィクの食事に手を付けない姿を見て、女子トイレまでその理由を聞きに来てしまうのは、彼の芸術家としてのプライドが今まさにズタズタに傷ついているからでしょう。

マーゴを演じたのは、アニャ・テイラー=ジョイ。
相変わらず美しく、存在感があります。このレストランの中でたった一人の"異質"の存在を終始演じ切っていました。

彼らがなぜその場から必死になって逃げ出さなかったのか。なぜ共闘してシェフたちと戦わなかったのか。もちろん刃物を持つ彼らには敵わないという計算が働いたというのもあるのでしょうが、理不尽な仕打ちを前にしてどこか従順に受け入れています。

例えば映画スターに連れて来られたアシスタントの若い女性は、どうやらただ金持ちの出身だったというだけの理由でスローヴィクの標的に相応しいと言われてしまうのです。
もしかしたらそれ以外の理由もあるのかもしれませんが、それだけが理由ならそんな理不尽なことはありません。納得してしまうのはおかしい。
それなのにヒステリックに反発することもなく、絶望で泣き叫ぶのでもなく、デザートのマシュマロの拘束衣とチョコの帽子を被らされるのを、ただ怯えて涙を流しながら受け入れるのです。

マーゴを連れて来たタイラーも同様です。
彼は純粋なスローヴィクのファンでした。ところが、作り手側の気持ちというものを考えていなかった。好き勝手にメニューを撮影して垂れ流したことでスローヴィクの怒りを買っていたのです。
タイラーは終始、スローヴィクに嫌われることを恐れていました。しかし、やっている行動はマーゴの料理を横から奪い取ったりするなど、ファンとして過剰な行動ばかりでおよそグルメらしからぬ行為です。品性も、作り手への敬意も感じない。身勝手な片想いだったのです。
駅員や乗客に迷惑をかける鉄道オタクと言えば、よく伝わるかと思います。

スローヴィクはそんなタイラーに料理の腕前がないことを皆の前で曝け出し、恥を晒した後で自殺を示唆します。
そしてここで不思議なのが、タイラーはスローヴィクの指示通りに首をくくってしまうのです。

タイラーが洗脳された信奉者であることを抜きにしても、あまりにも彼らが不条理に対して行動を起こさないことへの違和感を感じざるを得ません。
それは結局、スローヴィクが最も彼らに対して憎しみを覚えていた問題点そのものなのでしょう。
グルメを気取った彼らは、高いところから偉そうに口を出したり、勝手に満足したり、あるいは上質なものをあたかも知っているかのように語って批評する習性があり、自分たちの足で立ち上がり、自分たちの手で闘争するということをしないということ。

この島に上陸してすぐ、浅瀬で海産物を収穫するスタッフに対してグルメ家たちは、俺たちに美味しい物を食わせるためによく働けと声を掛けます。
グルメの客はあくまで与えられた物を受け取るだけの存在です。シェフたちは自分たちで考えた料理を与える側の存在です。
それなのに客を喜ばせる料理を提供するためにシェフたちが腕を磨き、素材を厳選し、時間と労力をかけて提供したものを、物知り顔で酷評するのも語られるのもスローヴィクの不満へと繋がっていたのです。
中には料理の味の違いなどまったく分からない無知なグルメもいて、スローヴィクはそういった客たちを相手にこれまで努力を積み重ねてきたことへの空虚さを感じてしまっていたのでしょう。

自分の意見を持ち、自分の力で切り開いてきた経験などほぼ皆無な彼らは不条理に対して闘争しません。努力を怠り、怠惰であったことが彼らの罪だったと思います。
自らの死すらも受け入れ、シェフの料理の完成を"ただ待つ"のみ。
リアリティに欠け、そんなわけないけれども、それこそ本作の核心に迫るブラックユーモアだと思いました。

それに対してマーゴは違います。
本来の標的の女性に断られたタイラーが代わりに連れて来たマーゴは、グルメ思考の彼らとは違って庶民の世界を生きてきた娼婦でした。
スローヴィクの心酔しているところを利用されていたタイラーは、このディナーが死のディナーであることを理解しながらマーゴを誘ったのです。
タイラーが彼女なら死んでも良いと考えていたことを知って怒ったマーゴでしたが、そんな彼女だけはこのスローヴィクの作り上げるメニューには相応しくない"異質"であり続けており、スローヴィクにもずっと特別視されていました。死ぬ運命は同じですが、時にはスタッフ側に付かないかと誘われるほどに。
しかし、マーゴは彼の料理で楽しむことはできず、スローヴィクの料理は口に合わないとはっきり伝えるのです。

動揺するスローヴィクにマーゴは反論します。
自らの運命すら受け入れている彼らとは真反対。彼女だけは立ち上がって抗議します。そもそも彼女だけは殺される謂れのない、巻き込まれた人間であるため抗議できるのも納得です。
彼女にはどの料理も口に合いませんでした。崇高すぎて、料理を一品も楽しめませんでした。
そもそもシェフがいちいち料理のテーマを語るのも最初から辟易していました。

彼女が求めたのは、庶民的なチーズバーガーです。
それはマーゴがスローヴィクの部屋に侵入した際に見つけた、彼の原点でした。
部屋に飾られた写真には、若いスローヴィクがエプロン姿と満面の笑みでハンバーグを作って写っていたのです。

スローヴィクは自分の核心をくすぐられたらしく、マーゴの挑発に乗ります。そして、長年作ってこなかったであろう庶民的なチーズバーガーを久々に作り上げるのです。

これまでどの料理も助手たちに作らせていたスローヴィクが、初めて自らの手でしっかりと焼き上げたというのも面白いです。
これまでは高名なシェフが自らの考案したメニューに則って料理を提供し、客たちが集まって来ました。それが高級料理店の仕組みです。
一方で、マーゴのそのオーダーは客が食べたい物を受けてシェフが提供するという仕組みです。料理の道を歩み始めた初期の頃はシェフがイニシアチブを取るのではなく、客がイニシアチブを取っていたのです。それがスローヴィクの原点でした。
これまで提供してきた「執着」の料理と違い、このチーズバーガーにはスローヴィクの「愛情」が確かに入っていたと思います。

どんなに高くて芸術的でメッセージ性の強いメニューより、鉄板の上でとろけるチーズと肉汁溢れるハンバーグでできたチーズバーガーが何より美味そう。
高価で上品な物が良いとするグルメ家たちの幻想に対して、本物の旨さとは何かを感じさせます。
今晩のレストランはスローヴィクと料理人たちの執念に満たされていました。計画を遂行することのみに目を向け、料理を「楽しむ心」はなかったと思います。
そんな中、最後に提供したこのチーズバーガーだけはスローヴィクが丹精込めて作り上げました。料理人人生の原点であり、本当に最後の一品となったのです。
苦労の伝わらないグルメ家たちと違って、彼女は純粋に「美味しい」を教えてくれました。
それこそが料理人の本懐だったと思います。

マーゴが一口食べてお持ち帰りを希望すると、スローヴィクは一本取られたような顔で彼女の希望に添います。コースにはない特別料理のため、今夜の計画にはないオーダーです。スローヴィクは自然とマーゴに従います。
そして、持ち帰り容器にチーズバーガーを入れて彼女を解放するのです。

持ち帰ったチーズバーガーを逃げ出した船上で頬張るマーゴ。その背後で、デザートのスモアが完成します。
マシュマロとチョコと共に、客と料理人たちが炎に包まれているのです。
マーゴがその炎に向ける目が刺激的でした。悲しいとか、助かって良かったとか、怯える目などではなく、言葉にすら出さずとも「クソッタレ」という侮蔑の目だったからです。
やっぱり庶民のマーゴには、料理人たちの狂気もタイラーのクズ男っぷりも客たちの高尚ぶった雰囲気も一切理解できなかったのでしょう。
彼女は終始、今夜のディナーには"異質"でした。

男たちが脱走を図っている間に女性たちが食べるメニュー「男の過ち」で、アクセントに"梅干し"が出て来たのが、何だか良かったです。