記録用
行定勲監督作品。
宮藤官九郎脚本。
「名前ってなに?バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」
窪塚洋介演じる主人公杉原は在日韓国人3世である。
上記の言葉はシェイクスピアのロミオとジュリエットのセリフの引用であるがこの言葉を開きながら落語という日本独自の文化的空間で涙を流すシーンは切ない。
環境の違いによる恋愛、人種の違いの中にある恋愛などは世界中でよく見られる古典的なテーマではあるがこの物語の特徴は3世であると思われる。
宮藤官九郎はスコセッシの「グッドフェローズ」を参考にしたようだが移民として他国に住むようになる1世の場合は僕の文化や常識などが染み付いていてその文化の相違や差別に悩む。
3世の場合は産まれてきた時から他国の言語、文化に触れ合っているので周りの日本人と変わりないつもりではあるが他人や法律の範疇でカテゴライズされる。
1世の場合は母国への愛国心を持ちそれが自身のアイデンティティの支えとなっている場合もあるが杉原の場合母国への愛国心はないといってよい。
朝鮮学校でのマスゲームからわざと外れたりわざと日本語を使い日本の学校を進学するということで決別しようとする意思も見せつける。
しかしその先にでも結局柴咲コウ演じる桜井の家族など含め一部の人達からは拒絶されてしまう。
家系的な人種の国、生まれ育った国からも拒絶されてしまい自身のアイデンティティを失いかける中での最初の落語でのシーンなので孤独感、悲壮感がでる。
そして杉原が感じる悲しみや怒りの独白がラストのシーンへと繋がっていく。
それは国籍や文化を超え自身が宇宙人でもライオンでもなく一つの人間であるという答えだ。
そして2世でもある父は1世の悩みと3世の悩みのちょうどの間の悩みが存在するが杉原にとってはそれが感じ取れなかったためか拳闘という対話で理解し和解する。
その奥にある人種国籍を超えた親子の愛を感じたからだ。
テーマは誰にでもある青春の物語と家族の愛という普遍的なテーマがあり
そして今のように当たり前にKPOPや韓国ドラマ、映画が生活に馴染む前の日韓の政治的な情勢やお互いの人種間の壁のようなものが厚かった時代にこのシリアスな題材を脂の乗っていた頃の宮藤官九郎のポップでわかりやすいストーリーに脚色されており見やすさもあります。