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マチルダ・ザ・ミュージカルのLCのレビュー・感想・評価

3.8
面白かった。

1996年の作品より、主人公の周りの者たちを掘り下げていて、とても楽しい。
その描写のひとつひとつが、本作で主人公がずっと身を置く「闘い」の数々を、よりわかりやすくしているように思う。
「 Matilda 」は、「戦の中で力強く在る女性」というイメージを持つ名前。

主人公が、頭に浮かんでくる物語を、図書館の人に聞かせる場面が好き。目を輝かせて聞いてくれる、物語を楽しむことが大好きな本の管理人なんだろうなあと感じられる。
「ご両親は、あなたのことが自慢でしょう。素晴らしいよ」と言ってくれる彼女に、主人公が「そうなんだよ」と答える姿は、なかなか切ない。本当はそうやって、愛されたいよね、当然だけれど。
主人公は、彼女の物語がハッピーエンドになりそう、だけど、まだここから本番、と語っていくのだけれど、「ハッピーエンド、無理なのかもしれない」とメモに残す場面もある。
自分も、もちろんハッピーエンドが好き。幸せになりたい。
ただ、目の前に広がる景色の中で、自分が幸せになる道筋は、見えない。そんな、挫けてしまいそうな姿。
彼女は、物語の中で、「声に気付いて、ドアを蹴破って、駆け寄り抱きしめてくれる」人に、自分が抱きしめられている想像をした。そうやって、誰かに助けられて、守られたい気持ちが、痛い程に伝わってくる。
もう大丈夫、誰も君を傷付けない、もう怖くない、安心して。そんな言葉を求めていた。
でも、周りの誰にも助けを求めなかった。本の管理人さんにも、友だちにも。現実は、自分ひとりで何とかするしかない、そう思っていた。
その姿勢自体は、本当に強くて賢くて、わしは好き。その姿勢が、周りに確かな影響を与えていく。

校長先生の歌も好き。なるほど、彼女は彼女なりの理屈を、やっぱり持ってるんだな、と理解できる。
私は何故、大きな大会でチャンピオンになれたのでしょうか。
いつも通りに、ルールに則って競技をしたから、という理屈だけれど、そこに辿り着くまでの過程を窺わせるように思う。
叩かれて、潰されて、それでも立ち上がって走ったからこそ、チャンピオンになった。
なんか、運動を頑張るって、そういうことあるよね、「今のおめーには何の価値もねえ、腕立て100回やってから発言しろ」みたいな、そういう。指導者とか先輩の言うことは絶対で、夜中突然起こされて「おい、走ってこい」と言われたら、文句ひとつ言わずに走りに行かねばならない、みたいなとことか。
それでも、競技のルールを守っていれば、その記録はきちんと扱われる。記録が何より、立ち塞がるものどもを蹴散らしてくれることも、あったかもしれない。彼女がそこに救われたことも、あったかもしれない。
彼女は、そうやって大きなことを成し遂げた。たぶん、「教育というのは、そのようにして相手を不屈の戦士にすること」と思っていたのかもしれない。「相手にちびる程の恐怖を持てば、失礼のないように振る舞える」的な、立ち居振る舞いも含めて。2度と経験したくないお仕置きを与えれば、どのように振る舞えばいいかバカでもわかるだろう。
そういう姿は、力を持ち過ぎることの、ひとつの欠点でもあるけれども。指導者というか、頭を押さえつける者とか、ライバルでもいい、そういった存在がいなくなると、叩かれて鍛え上げられた者は、他者にやり過ぎちゃったりする。叩くには、加減が必要。加減が自分で調整できないなら、頭を押さえつけてもらうしかない。
その加減が出来ないのだから、校長先生は「良い選手」ではあれど「良い指導者」ではないんだね。

そして何より好きなのは、やっぱり「小さな力を束ねる」景色。
強大な相手に、ちっぽけな者たちが立ち向かうには、1対1じゃ到底無理。笑顔で大人しくしているだけでも、何も変わらない。というか、そういう姿は、作中でもハッキリ言葉にされている通り、「認めている」と見做される。
どれだけ虐げられても黙って耐えるのは、「どうぞ虐げ続けてください」という合図でしかない。誰も助けない。より正確に記すなら、笑顔で耐えているだけの人を、他者は助ける力を持たない。本人が誰より抗ってくれんと、助けようと手を伸ばしても、共倒れになる。脱力した人ひとり抱えて崖を登れる超人は、そうそういないのである。
主人公は、それでもひとり、抗ってみせた。その背中に続く者たちがいた。
そうして、「どうぞぼくも、私も、みんな罰してくださいな。全員を罰することなんて、出来ない筈でしょ」と、みんなも知恵を働かせた。
大人しく縮こまっていることをやめて、ハッキリと抵抗の姿勢を示した。
小さな力を束ねれば、それは簡単に踏み潰せない大きな力となる。そんな景色。

それでも、更なる絶望を用意していた強敵に、主人公は不思議な力を発動させる。
前作は、その力を楽しんで使えるようになるまでの過程が描かれていたりするけれど、「出来るなら、これから使う機会がないといい」と思いもした。「相手を脅して従わせる手段を、簡単に選ぶ、そんな道に入っていかないといいな」みたいな。
今作の主人公は、きっと、その力を楽しんで乱用することは、ない気がする。力を束ねて尚、どうにも勝てそうにない相手に使っていたから。
みんなでお祭り騒ぎの中、缶を浮かせる仕掛けを見ると、きっとそうだと思える。不思議な力だったね、すごかった、でも、必要なければ別に、使わなくていいんだよ。糸付けちゃえば、いつでも似たようなことは再現できるんだからさ。

先生が「彼女さえ良かったら、預かりたい」と言った時、本当にびっくりしただろうな。
主人公は、誰も自分を助けられないと思って、必死でひとり抗っていただけだ。
その中には「自分と同じように虐げられている者の為の抵抗」もあった。そうして、彼女の孤独な闘いは、周りにも力を与えていったし、主人公の向こうに希望の光を見出した者たちもいた。
いつだって、必死で自力で立とうとしていた彼女に、みんなが「行かないで、一緒にいようよ」と声をかける景色には、嬉しくなる。
先生も、友だちも、自分も、みんなそれぞれの闘いに立ち向かった。その闘いの中心には、ひとりで力強く立とうとしている、ひとりの女の子がいた。

主人公家族から男の子がいなくなっていたことにはびっくりした。
父親さんも母親さんも、子どもがあんまり好きじゃなさそうだし、作ってなかったかも。そう考えてみると、それも確かにしっくりくる。
自分たちの幸せな日常を守る。そうやって生きている善人なのに、何で子どもが出来たんだ。そうやって歌い上げる姿にクスッとする。制御不能な問題が多発するもんなあ、子どもおると。本当に苦手そう。
息子さんの未来も気がかりだった前作、今作では、そこら辺もスッキリ見終えることができた気がする。
主人公の頭に浮かんだ物語、きっと、娘への大きな愛が、何とか伝える力を束ねて、主人公へ届けたのかもしれない。そう考えるのって、ちょっとロマンが過ぎるかも。まあええか、わしは好きやで、そういう考え方。
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