Ren

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのRenのレビュー・感想・評価

4.5
もう年間ベストとかの括りでなく絶対に自分の中でずっと大事にしようと決めた。刺激物から逃れ、悩んだり苦しんだりしながら生きる人に送る現代のヒーリング映画。考えたくならない訳がない。

一人っ子でぬいぐるみやおもちゃに囲まれて(もしかしたらしゃべったりもしていたかもしれない)育った十数年前の自分と、映画をよく観るようになってから自らのノリや発言を振り返ることが嘘でなく多くなった今の自分がドッキングされたような「じぶん映画」だった。この映画が発するメッセージ以上に自分事として受け取る観客もとても多いのでは?と予想。

ぬいぐるみのように優しくふわふわした色彩や質感の映像。人物たちの服もセーターやジェラピケ風のパジャマなど心なしかモコモコしている。タイトルの「やさしい」がひらがな表記なのも柔らかで雰囲気に合っていて、こういう細やかな工夫がたくさんある。

観客を意識した演出は極力排除され、そこに生きる人々を切り取ることに尽力している。だからこそ逆説的に彼らのことが伝わるし理解しようと前のめりになれる(因みに今の邦画の最前線でそれをやってのけて成功しているのは今泉力哉監督だ)。
全体が超現実的だからこそフィクショナルな演出も印象に残る。ぬいぐるみ視点映像やぬいぐるみの手が耳を塞いでくれるシーンなどとても分かる。

この映画の基盤にあるのは、現代でこそ定着してきた「コミュニケーションとはそもそも、常に傷付ける/傷付けられる可能性を孕んだ行為である」という価値観だ。不用意な言葉は意図せず無意識に相手の心を抉り得る。それは例えば飲み会で、クローズドな場だからといってその場の人全員が傷付かない振る舞いをしているだろうか、みたいなこと。人と話すことと加害性は切り離せない。

そんな時の一つの方法論として「日記やノートに書く」「SNSで匿名で発言する」などが挙げられると思うけど、①多くの人のコミュニケーション方法である "声に出して話す" を実践できて②傷付く(自分以外の生身の)人間が確実にいない、の双方を満たすのが「ぬいぐるみと(に)しゃべる」ことだ。どう考えても納得できる。ファンタジーでも不思議ちゃんでもない、必然の行為。現代であれば尚のこと納得できる。

もちろんこの映画を観て、感受性の高すぎる人たちって生き辛そう、今の若者って考えすぎでは、と捉える人も居なくはないだろう。自分とは隔離された令和のおとぎ話を観ているような感覚になる人も居そうでそれはそれで理解はする。
そこをスレスレで繋ぎ留めるのが白城(新谷ゆづみ)というキャラクターだと思う。ポスターでもみんながぬいぐるみを見ている中、一人だけこちらを見つめる彼女は劇中でも向こうの世界(ぬいぐるみとしゃべる側)とスクリーンのこちら側の世界を結ぶ。
ぬいぐるみとおしゃべりする人々は素敵だけど、当然現実には「ぬいぐるみのように彼らを受け止める生身の人間」が必要で、そうあることこそが「ぬいぐるみとしゃべらない」ことを選択した人間ができ得る努力なのだと思う。そんな思いは本編ラストの某人の台詞に集約されていた。優しすぎることは悪いことじゃない。

なので結局、決して誰もに無関係な話ではないという結論になる。裏主人公は白城だとさえ感じた。因みに自分は白城に感情移入する以前に七森(細田佳央太)や麦戸(駒井蓮)の話に痛いほど共感した側の人間であることを追記しておく。

そして何にせよキャスティングがニクい。『町田くんの世界』の細田佳央太、『いとみち』の駒井蓮、『佐々木、イン、マイマイン』の細川岳、『カメラを止めるな!』の真魚など近年のいい邦画で存在感を放ったいい俳優が揃っている。これだけでも観る理由になる映画好きの方、きっといますよね?今後の金子由里奈作品に大注目したい。
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