Moriuchi

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのMoriuchiのネタバレレビュー・内容・結末

3.2

このレビューはネタバレを含みます

劇場公開時から気になっていました。やっとWOWOWで鑑賞できました。

「もしも本作を20歳の時に観ていたら、自分はどう感じたんだろう?」
と自問したところ、
「20歳の自分なら、『退屈だ!』って一蹴しただろうな」
という答えが返ってきました。ちなみに僕が二十歳の頃というのは、今から30年も昔の話です。
むろん、人生に「もしも」はないし、現実に在るのは「齢50でこの映画を観た自分」だけなんですけどね。

本物の立命館のキャンパスがロケに使われているのでしょうか?
そこらあたりはよくわからないけど、なんかキャンパス内の空気感が、僕が覚えている(90年代の)早稲田の匂い(臭い、と書いた方がいいかも)と近い気がして、
「そうそう、これが大学なんだよな」
って思いながら観ていました。
大学は綺麗すぎてはダメだと思うし、オシャレすぎてもダメだと思います。

そういえば、先日、
「立命館にお金払うのイヤ」
って、ある生徒のお母さんが言うのを聞きました。
立命を蹴るか、あるいは立命を滑り止めにすらしないレベルの大学に(自分の子が)受かってから言えよ、って言おうかと思ったけど、やめました。そういうくだらない学歴差別感情みたいなのって、親から子へ感染しがちなので、気をつけないとは思うけど、まあ、僕が噛み付く問題でもないわけで。
個人的には、立命館大学には思い入れがあります。というのも、開塾から5年くらいは、うちの講師の中心は立命館の学生たちでした。優秀な学生が多かったです。彼らには大いに助けらし、今も(一人だけですが)立命の学生さんには大いに力を借りています。そんなわけで、立命館は大好きな大学のひとつです。

閑話休題。立命館云々は映画とは関係ないですね。
映画に話を戻しまして……。
正直、よくわかりませんでした。
そもそも「わかる」とか「わからない」という物差しを本作にあてがうことが間違っているような気もします。
ひとつだけ。
(本作のキーワードとも思える)「やさしさ」って、なんなんやろね? ってことは、観終えたいま、すごく感じます。
作中、たしか、
「やさしさと無関心は似ている」
みたいな科白が出てきました。
……似ている、と思います。でも、本物のやさしさと無関心は全く別物だとも思います。では、
「本物のやさしさってなんなんだよ?」
と問われたら、よくわからないと応えるしかありません。
それは、私的な人間関係の中で自分が行動で表現していくしかないのだろう、と……。
たいていの人は、他者にやさしく在りたいと願っているはずです。でも、「やさしさ」って、「これがやさしさだ!」と明確に定義するのが本当に難しいですよね。
Moriuchi

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