2022年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。フレデリック・ワイズマンの数少ない劇映画。物語はレフ・トルストイの妻ソフィア・トルストイの独白のみで構成されている。主演のナタリー・ブトゥフとは2012年にエミリー・ディキンソンについての舞台『The Belle of Amherst』を上演してからの仲であり、本作品の企画は共同製作者でもあるブトゥフの方から「ソフィア・トルストイの日記」を見せたことで始まったらしい。この日記というのが、結婚してから同じ家で暮らしているのに二人共ずっと書いて互いに見せあっていたらしい。18歳のときに34歳のトルストイと結婚し、結婚前日にこの日記を渡されて、過去に関係を持った女性たちのことや隣家に住んでる女性が愛人で2歳の息子がいることを明かしたというエピソードも登場する。基本的にはソフィア目線で、時々トルストイの手紙を引用しながら、互いを詰りまくって、でも好きなんだ!と落ち着く様々な日の混ざりあった感情のあれこれを語っていく。独白ということで、画面上に現れるブトゥフは庭と海辺をウロウロしながら感情をぶち撒けるが、要所要所カメラに向き直って、こちら側にいる夫レフ=読み手に語りかけてくる。過去形で書かれた日記を現在形に変更したというのもここに関わってくるだろう。これで悪妻とか言われてたのかわいそすぎだろってくらいトルストイは嫉妬深く、ソフィアを信じていなかったようだ。加えて、子供の世話や原稿の添削等、トルストイの創作活動以外全般を丸投げされている不均衡で不健康な関係性(その意味で原題"夫婦"は皮肉っているのだろう)の指摘は、まさしく"アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?"といった感じで興味深い。あと、ロシアの有名悪女伝説解体という意味ではキリル・セレブレンニコフ『チャイコフスキーの妻』を思い出したが、流石に背景を変えて喋り倒すだけの本作品は退屈だったのでセレブレンニコフに軍配。ストローブ=ユイレが苦手な私には重荷でした。