フジタジュンコ

蟻の王のフジタジュンコのレビュー・感想・評価

蟻の王(2022年製作の映画)
4.0
ホモを目当てに見たら至極まっとうな法廷劇でした………よかった…しみじみと…よかった……

タイミングが合わなくて劇場で見そびれてしまったのだけど、これはスクリーンで見たかった…ラストの、薄く晴れた空からささやかに雨が落ちるなかで、アルドとエットレが言葉を交わし、そっとよりそうシーンに、恥ずかしながら大号泣してしまいました……

「愛」という事象において、1対1で成立することが不可能になったこの社会で他者を愛するとはどういうことなのか、外連味が鼻につくが、理解するためにはギリシャ哲学にニーチェに宗教に第二次世界大戦にコミュニズムにと様々な領域への理解が必要で、とりわけ、カトリック的な概念が色濃く、ワタシキリスト教チョット理解デキルなのですが、もっと勉強しなければ、という気持ちにさせられました。

イタリアでの同性愛にまつわる事件をモチーフにした映画といえば、この作品と同年2022年(日本では同じく2023年公開)の「シチリア・サマー」が思い出されますが、キリスト教国における同性愛者の迫害において日本の多くの方々が誤解しているのは、社会を構成する人々による不寛容でも無理解でもなく、つまり各々の心情からくるものではない(がゆえに、たちが悪い)、ということなのです(インドのカースト制度もそう)。

これは、社会を成立させている戒律や思想に反する、”異端”(これは強烈な意味を持ちます)なので、犯罪以上の行為であり、ゆえに家族まで迫害されるわけです。ピンとこないかたは、魔女狩りを思い出しましょう。
たぶん、日本人なら「中世ヨーロッパはアホなことやってたんだな」と思うでしょう。いやいや、いまでも同じです。”異端”は、まだ生きています。

キリスト教国を中心に、LGBTQの保護をし、法律で差別を禁止しているのは、それが彼らにとって”異端”だから、現代的な解決策である”法”が必要なのです。理解できないとか、生理的な反応とか、そんなものではありません。そんな程度であれば法律など必要ありません、この日本のように。彼らキリスト教徒(あるいはユダヤ教徒、イスラム教徒)は、同性愛をものすごく”正しく”理解しています。それがゆえに迫害し、同性愛者は隠れるのです。”異端”というのはそういう意味合いのものです(これはどれだけ勉強しても、私のような普通の日本人に実感することは難しい)。

この”異端”が存在しない日本におけるLGBTQの活動が、どれだけ的外れか。日本においては、おそらくうっすらとした「キモいな」という程度のもので、これはただの内心の自由です。ユダヤ-キリスト教と程遠い日本社会では、”異端”という概念がないので、そこにあえて”異端”をつくりだして保護しようというの動きが、どれだけ無意味か、という至極シンプルな話です。


なお、アルドによりそう共産党機関紙「ウニタ」の記者・エンニオがゲイであるという説はよく見かけますが、腐女子であるわたくしにはわかります、エットレのお兄ちゃんもゲイですね…概念的にはカインとアベルのオマージュでもあるのでしょうが、腐女子としてはファーストシーンでピンときましたね…(ドヤァ