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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥの盆栽のレビュー・感想・評価

3.4
社会への「怒り」から社会提示へ


 現在、酷評の嵐に襲われている禁断の『ジョーカー』続編。まさかの続編であり、当然作られる必要があった続編。観客が求める「ジョーカー」とトッド・フィリップス監督が完成させた「アーサー・フレック」の間に生じた意見の相違こそ、この『フォリ・ア・ドゥ』だと感じました。賛否両論になって当たり前です。

 そもそも前作が偉大すぎたので、それを超えることは不可能だと鑑賞前から気付いていましたが、それでもかなり挑戦的。予想よりもミュージカル調が濃く、前作のようなクライムサスペンス色が消え、全く別の作品に仕上がっていました。ここをどう捉えるかで評価の差が生まれそう。個人的にミュージカル映画は好きな部類なので、歌と踊りに染まった作風は好み。そこにアーサーが抱く妄想の世界が組み合わされるため、狂気じみたものに。アーサーとリーの舞台は幻想的で視覚的な楽しさがありました。

 肝心のストーリーは、正直なところ満足はいかないものに。どちらかというと、かなり退屈に感じました。作家性に優れていることは伝わりましたが、あまりにも観客のことを無視しすぎている感じ。監督が表現したいものを思う存分に具現化させることは素晴らしいのですが、『ジョーカー』というコンテンツでしてしまったか、、、というショック。もはやわざとこの構成にして、観客をジョークでマインドコントロールしようとしているのか?とさえ思ってしまいました。

 ですが、一概に酷評するほどのレベルではありません。ホアキン・フェニックスの演技は相変わらず素晴らしいものであり、音楽の使い方も秀逸。映像美も備わっているので芸術面では優れた一作。

 前作がマーティン・スコセッシ監督作品に影響を与えているのと同じで、本作も数々の作品から影響を受けています。まず真っ先に分かるのは映像と曲を劇中で扱った『バンド・ワゴン』。この映画もエンターテイメントの真髄を描いたもので、崖っぷちの主人公が再び舞台に上がる様子をカラフルなミュージカルで表現した良作。そして法廷でミュージカルを繰り広げるの様はさながら『シカゴ』。他にも影響を与えた作品はまだまだあり、往年のミュージカル映画との繋がりが多いのが本作です。

 前作とは異なり、何度も観ようという気持ちにはなりませんが、何度も観ないといけないと思う使命感に襲われた本作。前作が唯一残した「問い」の答え合わせを本作で果たしたことで、この『ジョーカー』は綺麗に完結しています。ここでトッド・フィリップス作品に通ずるテーマ「孤独な男の成長譚」が重なります。アーサーがリーと出会ったことでジョークが生まれる。鑑賞2回目以降は、リーという女性の存在感が本作で何を意味するのかについて深く考えてみようと思います。

 この二部作は一貫して、
「アーサー・フレックという孤独な男はジョーカーになれたのか」
「本当のジョーカーは誰なのか」
という物語でした。余韻に浸れるような結末ではありませんでしたが、制作しようとした作り手の覚悟に拍手したいです。いつの日か再評価される日がくるといいな。

2024.10.11 初鑑賞
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