Yoshishun

少女は卒業しないのYoshishunのネタバレレビュー・内容・結末

少女は卒業しない(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

“卒業したくない理由”

Fan's Voice様主催のオンライン試写にて。

『桐島、部活やめるってよ』の朝井リョウによる同名原作を、『カランコエの花』の中山駿監督が映画化。廃校間近の高校を舞台に、卒業を2日後に控える4人の女子高生の視点で様々な別れと旅立ちが描かれる。
映画ファンの間でも最近話題の若手・河合優実の出演作は初鑑賞。

個人的には同じ朝井リョウ原作の映画化である『桐島、部活やめるってよ』『何者』もあまりハマらなかったのだが、本作は卒業2日前という青春の終わりがすぐそこに迫っている少女たちのリアルな姿、それぞれの結末に切なさが込み上げてくる傑作だった。鑑賞前まではよくある、大人になりたくない系JKの日常を描いた作品と思っていたが、良い意味で映画的な部分もあり非常に楽しめた。


なお、今回はガッツリネタバレするので、鑑賞前のユーザーはここでレビューを閉じることを薦める。



本作では、前述の通り4人の女子高生の視点で描かれる。卒業生代表として答辞を読む者、進路を巡り彼氏と喧嘩中の者、軽音部部長として卒業ライブのトラブルに対処する者、そして親しい友人がおらず図書室の先生に片想いをしている者。特に答辞を読む山城という人物は、何故か答辞を読むというだけでリハーサル会場に動揺が走る。4人の中でもかなり深刻な過去を持つだけに、彼女の物語には胸が締めつけられる想いになる。

劇中では卒業というだけでなく、廃校という設定も付随されているため、正真正銘の最後の卒業式である。それだけに4人の想いはより強固なものに思えるし、ただ学校を立ち去るということ以上の意味を持たせる。ある者は大切な人との“最期“を過ごした場所、ある者は好きな人と出会えた場所と、学校という舞台上で様々なドラマがある。

前半はよくある青春ものを匂わせる。卒業を間近に控えた高校生が来る卒業に備え和気藹々とする様子や、部活に思いを馳せる様子、リア充爆発よろしくなカップル達が描かれる。ところが、前述の卒業生答辞や、何故か変なタイミングで挟まれる回想シーンと違和感を覚える箇所が随所にみられる。家庭科室での山城と駿のやり取りに和みつつも大人への第一歩を匂わせるも、どこか不気味さが拭えない。

そして、卒業式当日となる後半。駿が既に亡くなっているという事実から始まり、ここで前半の違和感の正体が一気に払拭される。と同時に、何故彼女らは卒業しない、したくないのか、という物語の真意が読み取れる。誰しもが大人になるにつれ、必ず訪れる別れ。少年少女らは卒業という形で別れというものを初めて経験するはずだ。学校はそんな別れを通して、子どもが初めて大人へと近づく橋架となる場所である。その場所で恋愛や部活、人付き合い、そして故人への未練があれば到底その場所から離れたくなくなる。しかも、思い出の場所も潰されるのだから尚更だ。だからこそ、何も未練を残さずに卒業を迎えたかったのだろう。

この卒業しない、したくないという気持ちこそ彼女らの物語を紡ぐ最大のキーワードであり、クライマックスでの各々の結末により余韻が深くなるものになる。映画内でも現在進行系で物語が進み、過去の回想は駿の死のみになっているのも、物語の現時点における彼女らの心情の変化や成長を描くために必要だったのだろう。思えば、駿は自殺か事故死かもわからないし、刹那4世こと森崎が普通に歌わなくなった理由もさっぱりわからない。原作では補完されてるのかもしれないが、映画版では詳細に語られず、逆に語りすぎずに想像に委ねられ観客自ら補完する面白さというものがある。
また、人付き合いの苦手な女子の結末では、「先生お金は返したんでしょうね?」という野暮なツッコミは忘れたくなるほど、映画的に大袈裟な演出も本作は優れているように思う。

昨年から多くの作品をオンライン試写会で鑑賞してきたが、過去一の満足感を得られる作品だった。軽音部部長の話だけは後輩のことを蔑ろにしているように見えなくもないが、4人の卒業しない物語の結末に久々に魂を揺さぶられた気分になった。
また、中村駿監督や河合優実はこれまで完全にノーマークだったが、本作を機に過去作も触れていきたい。
この手の青春群像劇は基本苦手なのだが、本作に関しては素直に観れて良かった。


また、Fan's Voice様ありがとうございました。
Yoshishun

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