Yoshishun

マッドマックス:フュリオサのYoshishunのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

“復讐のデス・ロード”

2015年6月、相次ぐ製作延期とキャストの交代、いきなり派手にぶっ壊されるインターセプターが映る予告編とどこからどう見ても失敗作確定と噂されていた『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(以下、FR)。しかし蓋を開けてみれば、まさに世紀末なMADな世界観、キチガイだらけの個性強すぎなキャラクター、リアルに拘ったアタオカカーアクションの数々、そして「行って帰る」というシンプル過ぎるストーリーに詰め込まれた情報量の多さに圧倒される観客が殺到した。アカデミー賞でも最多6部門受賞し、公開から約1年半後には監督がベストヴァージョンと豪語する白黒版も公開され、世界中のウォーボーイズがまたもや大歓喜する結果となった。そして、9年の時を経て、創始者ジョージ・ミラー監督によって再びMADな世界が戻ってきた!

まず言っておくと、本作は最低限FRの鑑賞をオススメする。というのも、FRで台詞として語られたガスタウンや弾薬畑、フュリオサの母メリー・ジャバサ、緑の地という多くの舞台やキャラクターが本作でついに映像化されているためである。本作鑑賞後に復習するのもありだが、よりFRへの没入感を深めるには事前鑑賞が良い。そもそも、フュリオサが何故あそこまで鉄馬の女たちと呼ばれるイモータン・ジョーの妻を解放しようとするか、片腕が義手なのかという過去にも焦点が充てられている。

さて、本作はFRとは趣が全く異なる。FRが3日間の逃避行を全編勢いとアクションのみでテンポ良く物語を展開していったのに対し、本作は15年のフュリオサの物語を描いている。そのため、2時間半という長尺かつ全5章というチャプター仕立ての復讐のデス・ロードといった感じで、アクションのみで突っ走るには無理があるし、それではFRの二番煎じだ。そもそもFRの構成自体が異質であり、本作はむしろ通常の映画の構成に近いのではないかと思う。

フュリオサが緑の地にてディメンタス将軍率いるバイカー軍団に拉致されるところから物語は始まり、そこからじっくりと母の救出劇、母との死別が描かれる。大切な人との死別、それもバイカー軍団に殺されるショッキングな展開はまさに1作目を彷彿とさせる。そして、フュリオサは母と約束した帰郷よりもディメンタスへの復讐心に囚われ、やがてFRでようやく妻たちを解放することで人間らしさを取り戻していく。あの義手が象徴するように、自身を機械化させていき復讐のマシーンと化していたのだが、マックスとの出会い、極悪集団との戦闘の果てに人の心を取り戻すのはまさしく2作目のマックスのようである。本作とFRを以て、このフュリオサの物語は旧作へのリスペクトを感じさせつつ綺麗に完結させるのである。これこそ、1作目から監督交代せずジョージ・ミラー監督が手掛け続けた手腕によるものだろう。

FRで語られた舞台やキャラクターも本作で記号的に扱われることは一切なく、ちゃんと物語に落とし込んでいる素晴らしさ。更には人食い男爵含めた前作からの続投組の過去も明かされファンには堪らない。ヒュー・キース・バーンの意志を受け継ぎ、イモータン・ジョーを新たに演じたラッキー・ヒュームも全く違和感がない。また、若きフュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイもシャーリーズ・セロンに勝るとも劣らぬ演技で魅せる。劇中で与えられた台詞は30語程度ながら、表情だけで彼女の怒り含めた心情面が読み取れる。ディメンタスとの最終決戦ではFRでは見られなかったフュリオサの涙もみられ、修羅の道を行き後戻りのできなくなった彼女の憤慨と後悔が垣間見える圧巻のシーンだった。
他にもマックスのほんの一瞬だけ、しかも後ろ姿での登場も思いがけないサプライズであった。

しかし、本作からの新キャラクターも魅力に溢れている。母メリー・ジャバサは、まさにFRでのフュリオサそのものであり、彼女の強く逞しき女性像、スナイプスキルやサバイバルスキルの高さも母親譲り。娘を誘拐されながらも冷静に雑魚敵を蹴散らし、敵に致命傷を与えた娘を褒める姿も見られる。必死の覚悟で娘を連れ出し逃がす瞬間の台詞も後のフュリオサの人生を決定づけるものである。
また、中盤で登場するウォータンクを操る警備隊長ジャックも、実写版スネークと話題なる位にはクールなキャラである。FRのマックスポジションとも取れ、15年間誰とも心を開いて来なかったフュリオサの良き理解者として登場する。イモータン・ジョーを兵役時代から知る数少ない人物ながら、自由を手に奔走するフュリオサを手助け導くのである。彼女を緑の地へと連れて行くため、ディメンタスが占拠していた弾薬畑に単身乗り込もうとする漢気溢れるオジサンだ。それだけにバイクで引きずり回された後の状況が分からなくなってしまったのが勿体無い。

そして、本作の敵であるディメンタス将軍。知性と策略、カルト的に部下を従え登り詰めてきたイモータン・ジョーとは違い、明らかに勢いとマイクスピーチでの堂々たる振る舞いでカリスマ性を見せつけ登り詰めてきた彼は対照的といっていい。チャリオットのようにバイクを馬車の如く乗りこなす馬鹿なデザインだけでなく、亡き息子の形見であるテディベアを常に持ち歩く(パンフレットでのインタビュー曰く、形見ではなく、ずっと子供時代から大切にしていた私物らしいが)。明らかに小物感を漂わせながらも、持ち前のカリスマ性と戦闘スキル、そして標的は意地でも逃さぬしぶとさ。昼間に拷問しときながら夕方頃になって「飽きた!帰る!」と言い放つお茶目さが堪らない。イモータンとの交渉で乳首と連動する機械を持ち出すのも中々の狂いっぷりだ。

前作を鑑賞していれば伏線が綺麗に回収されていく構成にファンであれば涎ものだろうが、それでもスマートな語り口で魅せてくれたFRよりも欠点は多い。

まず、アクションについて。本作は元々アクションメインではない内容であるにしても、前作以上にCG感が強くなってしまった。というのも、ロケ地が終始霧がかっていたFRと打って変わって、黄色がかった砂漠で撮影されたことで全体的にコントラストが激しい画面となっている。それもあってか、ウォーボーイズの白塗り感もかなり目立つのと同時に、いかにもCGで合成したような映像になっていたのが残念であった。まあほんの一瞬で処理される部分も多いのでそこまで気にはならないが。

また、音楽は前作に続きジャンキーXLことトム・ホルケンボルグが担当しているが、作品の性質上常に騒いでいる内容ではないため、比較的静かか抑えられた曲調になっている。FRと象徴的に扱われた例の重低音も申し訳程度に留まっているため、本作単体での音楽としては印象に残るものが殆ど無かった。

予告でも散々言われた通り、これはフュリオサの修羅の道。大切な人々を次から次へと奪われ、そしてFRでの例の緑の地へと辿り着いた瞬間の慟哭から彼女の壮絶すぎる人生の旅路を目撃することとなった。復讐に駆られ、本当に母親の言う通り、何年も掛かってようやく帰郷することになるのだが、本作のラストシーンのように奪われ続けた者が奪い返す、そんなシンプルなストーリーに神話性を持たせた監督の確かな作家性、独特の世紀末のビジュアルに圧倒される。

ヒャッハー成分多めの前作程の衝撃はないが、鑑賞後は必ずFRを見直したくなる。元々マッドマックスとはヒャッハー映画ではなく、奪われた人々の哀しき怒りの復讐劇だった。そんな1作目の精神を思い起こさせる前日譚だ。
Yoshishun

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