リーヴァイ・ケイン(マイルズ・テラー)は冒頭からただただ廃人の様に病んでいる。夜は悪夢にうなされ、昼はと言えば何のやる気も起きずに1日中海岸線を眺めることくらいしかする事がない。然しながら狙撃の腕前は超一流で、かつてはアメリカ海軍で100名以上の人間を狙撃したスナイパーだった。まるで『アメリカン・スナイパー』の主人公クリス・カイルのような深刻なPTSDに陥っているのである。一方、リトアニア出身のドラサ(アニャ・テイラー=ジョイ)は殺し屋としての腕を買われ、新しい任務を任されようとしていた。亡き母が眠る墓地でセンチメンタルに浸る実父を心配しながら、毎回ミッションの前にこれが今生の別れだと挨拶に出向くような可愛い殺し屋である。リーヴァイは人を殺すことに嫌気が差しながらも、彼もまた巨額の依頼は引き受けるしかない。こうしてリーヴァイとドラサとは秘密の場所へ赴き、外界とも反対側にいる相手とも一切連絡を取らずに、深い峡谷の西側と東側を 1 年間警備するという依頼を引き受ける。目隠しをされていたので場所は判別出来ない。携帯電話は取り上げられ、ネットも繋がらない。出来ることと言えば望遠鏡でもう片側の様子を見るほかない。
マット・デイモンの『オデッセイ』やトム・ハンクスの『キャスト・アウェイ』を彷彿とさせるのだが、もう片側にアニャ・テイラー=ジョイがいる時点で、『ムーンライズ・キングダム』や『裏窓』になるしかない。今作は1時間が経過したところで、二部構成の様相を呈す。序盤のシリアスなのかロマンスなのかわからない展開は、正に死に体のようなリーヴァイ・ケインの人生をもう一度覚醒させる事態なのだ。彼らのミッションはこの峡谷からの脱出を阻むことだが、そこにはホロウマンというクリーチャーの壁のぼりや金切り声を監視し、時には狙撃しても彼らの壁のぼりを止めなければならない。それは人間界への侵略を阻むという目的がある。そもそもこの施設が何なのか?対岸の警備にあたる人間が誰なのかはあらかじめ明示されない。だが望遠鏡を覗けばそこには東欧から来ただろう絶世の美女アニャ・テイラー=ジョイがモールス信号ならぬスケッチブックで、主人公とコンタクトを取ろうとしているのだから。Ramonesの7inchを流しながら、彼女は病んだリーヴァイにスケッチブックで幾つもの疑問を投げかけるのである。中盤以降、谷の底に眠る恐るべき秘密を2人は知ってしまう。スコット・デリクソンの新作は兎に角、この2重構造の脚本のアイデアそのものが新鮮である。中盤以降のビジュアル的な暗さは難アリだが、最後まで飽きさせない。エイリアン的なクリーチャーが跋扈する物語の親玉に、シガニー・ウィーバーを持って来た時点で最高である。