「声がデカいだけの馬鹿に従うな」
とてもわかりやすい教訓だが、その程度の当たり前のことを学ぶための犠牲としてはあまりにも酷過ぎた。
悲惨な事件に発展する前に止められたであろうポイントはいくつかある。
それでも止まらない。
なぜなら人は馬鹿で、周りに流されて、自分の頭で考えず、そして心に鬼を飼っている。
その鬼が表に出るきっかけはいくつかあって、不安や恐怖、思考停止、思い込みなどが起きている状態が危険だ。
そこに「朝鮮人が火をつけたり女を襲ってる」などその場で確認できず緊急を要する情報が放り込まれたら、あとは鬼化の感染は一気に広まる。
この映画が描く絶望感は二つある。
たった100年前の事件である点。
そして100年経っても我々はいまだに何も変わっていないという点だ。
SNSが発達して情報入手スピードが劇的に上がろうとも、「声がデカいだけの馬鹿」が居続け、心に鬼を飼ってる以上は人が死に続ける。
「朝鮮人だったら殺してもいいんか」
心の鬼が表面化したら終わりだ。
絶対に鬼にならないと強く誓おう。