SANKOU

福田村事件のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

福田村事件(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

日本が軍国主義へと急速に傾いて行った時代。まだ閉鎖的なムラ社会がいたるところに見られた時代。
そして部落出身者や在日朝鮮人に対する差別が堂々と罷り通っていた時代。
100年前と今とでは社会状況は大きく違うが、これを過去の歴史の記録としてだけ捉えて良いのだろうかと考えさせられた。
コロナ禍もそうだが、非常事態に陥った時に人は冷静な判断力を失う。
そして混乱に乗じて国は権力者に都合の良い法律を通そうとする。
関東大震災では何の根拠もない流言飛語によって多くの在日朝鮮人が犠牲になった。
そしてそれを焚き付けたのは国であり、報道は言論の自由を奪われ、国に都合の良い情報しか発信しなかった。
今はそうではないと果たして言い切れるだろうか。
コロナ禍でもデマによって在日の外国人が襲われたというニュースが流れていた。
どれだけ情報が得られる世の中になったとしても、それを正しいものかそうでないかは個人個人がしっかりと見極めなければならないのだ。
この映画を観て、どのようにして拡散されたデマによって人々にイメージが植えつけられるか、そして集団心理によって人が凶暴化するかをまざまざと見せつけられた。
とてつもない不幸が襲いかかってきた時に、人は知らず知らず敵を作り出してしまうものだ。
そしてその敵はマイノリティな存在であることが多い。
弱いものがさらに弱いものを虐げる社会の構造は、今もそれほど変わらないのだと思う。
福田村事件で犠牲になった行商人の一行も部落出身者だった。
「日本人と同じように良い朝鮮人もいれば悪い朝鮮人もいる」
報道記者の恩田が部長に対して放った言葉だが、これが本来正常な人間の考え方だ。
しかし国や民族という呼称ですべてを一括りにしてしまう人間もいる。
それが緊急時であれば尚更だ。
国のお達しにより自警団を築き上げ、瞬く間に凶暴化していく村人の姿は恐ろしかった。
もちろんその土壌はずっとあったのだろうが。
そして彼らはそれを正義と信じて疑わない。
一度火がついた村人たちは信じたいものしか目に入らなくなる。
どれだけ村長が止めようと、どれだけ日本人であると説明しても、行商人の一行を包囲して村人たちは聞く耳を持たない。
そんな中で包囲された行商人の親方である沼部が口にした「朝鮮人なら殺していいのか」という言葉が耳に突き刺さった。
村人たちは物事の本質を何も理解していないのだ。
そして沼部の言葉がきっかけとなり暴動はエスカレートしてしまい、子供も含めた9人の尊い命が失われてしまう。
そして彼らが日本人だと分かっても、村人たちは村を守るための正当な理由があったのだと主張する。
これも国による洗脳なのだと強く思った。
関東大震災の混乱に乗じて、社会主義思想の人々を弾圧する軍の姿にも寒気を感じた。
日本の戦時体制が加速化するきっかけとなった関東大震災から100年、また同じ過ちを繰り返してはならないと強く感じると同時に、自分の頭でしっかりと情報を判断する力を持つことの重要さを実感させられた。
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