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正欲のこのネタバレレビュー・内容・結末

正欲(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

「みんな違ってみんな良い」とか
「多様性を認めようね〜」が
エンタメ化している。

「男が男を好きでも何にも思わないよ、好きなように生きなよ」
って言ってる寛容さに対してみんなで
「優しくてほっこりするわね〜」って言い合う。
ここがゴールになっている。
“マイノリティの受け皿を作る”じゃなくて、”マジョリティの寛容さを楽しむエンタメ”になっている。

「生まれ持った特性を否定しちゃダメだ。だから男が男に性的な興奮を感じても大丈夫。」
「多様性の時代だから、自分に正直に生きよう。なんでも相談してね。私達がいるから。」
と言える人は本当の自分を明かした所で排除されない人間なのだ。

この論点がもしLGBTQではなく、たとえば

「ネズミの肛門に空気入れを挿して、膨らませて、爆発させる。その時に性的な興奮を感じるんです。」

とか

「犬を高いところから落として潰れた姿を見た時に性的な興奮を感じるんです。」

とか

「同性をレイプした時でしか性的な興奮をできないんです。」

なら。

「犬落下フェチ」も悪意を持って犬を落としているのではない。
「ネズミ肛門空気爆弾フェチ」も悪意を持ってネズミを爆発させているのではない。
男が女を愛したり、女が男を愛したりするのと同じように先天的な性的指向が犬落下とネズミ肛門空気爆弾なだけ。

マジョリティが想像している認めなきゃいけない多様性というのはLGBTQや障害で、それは「理解してあげたい」や「力を貸してあげたい」のような「助けてあげたい」形をしている。
ただ犬落下フェチのように不運な指向を持つ人間は助けてあげたい形をしていない。
そしてそれはルールから外れた行為で社会から許されることも無い。

だからそういう指向を持つ人の受け皿は存在せず生き辛い。そしてその指向がバレると罪になる。

つまり、自分の想像できる多様性には寛容で、想像できない多様性は排除される。

映画の中で出てきたマイノリティは水に興奮する水フェチと小児性愛者でした。

水フェチの人達は自分の異常さを理解していて、それがバレないように、周りの人の干渉を避けて生活する。
そしてマイノリティから見たマジョリティというのはまた異常に見える。

水フェチはこっそりと自分の欲望を満たし、小児性愛者もこっそりと自分の欲望を満たす。
小児性愛者は捕まり、それと数珠繋ぎに水フェチも理解できないと言う理由で逮捕された。



最近大学時代の友人に会って少し話をした。
何故か生い立ちの話になって、話を遮らないように少しだけ自分の話をしたら、悲しい時はなんでも相談してほしいと言われた。
本人はもちろん優しさで言ってくれているのだが、モヤモヤする。
誰にも話したことのない自分の特性と生い立ち。理解されないし、されたいとも思わない。話した瞬間に距離を取られることは、話す前からわかる。無関心でいてほしい。干渉しないが自分にとっての優しさ。

映画でも似たようなシーンがあった。
自分が水フェチというマイノリティであることから他の人間に心を閉ざす大学生とその男に恋する男性恐怖症の女性が教室で話すシーン。

女性は男性恐怖症になった過去を明かし、「でも貴方は怖くないの」という。
それに対して水フェチの男は
「同情してもらえる過去を明かして、辛かったね、生きづらかったね、ってそう言うやり方に俺を巻き込むな、なんであくまで自分は理解する側だと思ってるんだよ。あんたが想像できない人間はこの世にたくさんいるんだ。俺は根幹がおかしいから、もう関わってこないで。」と一蹴する。

女性が干渉してこようとすることに嫌悪感を示す。人間同士の性愛を理解できない。自分に対して必死になるのを気持ち悪く感じる。そしてまた自分の水フェチという性的指向も理解されない。打ち明けると気持ち悪いと感じられる。感じられてきた。彼にとっての優しさは干渉されないだった。

この女性はマジョリティとマイノリティのグラデーションに立つ人間です。同じ正欲で悩む姿、悩んでいるからこそわかる孤独の辛さに触れられ、話し合いの最後、彼はありがとうと言いその場を離れました。
マイノリティを救うのは同じマイノリティでなければならないのかもしれない。



この映画は終始皮肉で”自称優しい人”をめちゃくちゃ馬鹿にしている。思慮深さというのは自分の欲望ですよ?と言われている気になる。
説教臭い映画だなと思ったが、ハッとさせられ続ける。ただメインの登場人物を描く時間が少し短いので若干感情移入しづらい。原作はもっと面白いんだろうなと思った。あと新垣結衣可愛い。
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