100周年おめでと。
という事で、ウォルト・ディズニー・カンパニー創立100周年記念作品。
魔術に長けたマグニフィコ王が治めるロサス王国。国民達は自らの願いを王に預け、預けた本人はその願いを忘れてしまう。月に一度の儀式で王は叶える夢を1つ選ぶのだが、17歳の少女アーシャは王の隠された本性を知ってしまう—— 。
先ず驚いたのはその映像美。
ここ数年で更なる進化を遂げたかディズニー!?カートゥーンらしさとリアリティとのバランスが、少しばかりリアリティに寄った印象。ゲーム画面のイベントムービーを観ている感覚に近いかな?
願いは本来、自分で叶えるもの。
その為の努力やプロセスがあってこそ、達成感と喜びを勝ち得るもの。それを他人に、まして時の為政者に任せてしまうなど、碌でもないに決まっている。そんな単純な事をロサス王国に住む全ての国民が気付いていないのかと初っ端から躓いてしまった…。皆んな、バカなの??とはいえ、王に任せていれば幸せになれると思考停止している国民の姿は、まるで今の日本の世相を表しているようにも思えた。
以下、残念な点。
アーシャの友達が7人も出てくるが、当然名前を覚える気にもならないし、特に個性が強い訳でもなく、モブにも程があるので人数を減らした方が良かった。ただくしゃみばかり繰り返すアイツとか何なの?
1番の親友であるダリアは足に障がいがあるのか、松葉杖をついている。しかし、その事に全く触れられる訳でもなく、願いがテーマなのに、彼女が歩けるようになる事を願うでもない。
キャラクターを1人1人描くなら、きちんと彼らがいる(居る・要る)意味を与えるべきかと。
国民の願いは魔術で球体に収められており、視覚化されているものの、ちらっと映るだけなので、もっとそれぞれの願いを深掘りさせたり膨らませたり出来なかっただろうか?
アーシャの祖父はアコースティックギターを奏でる姿が映し出されていたが、マグニフィコ王は、彼の願いは危険だと判断した。え、なんで?何処が?歌で国民を煽動するとでも思ったのだろうか。100歳の老人が?
スター(星の妖精)のキャラデザインも、どうも中世の世界観からは少しハズしている気もするし、アーシャが飼っているヤギのバレンティノの声が見た目と裏腹にイケボ。これも狙ってハズしているのかも知れないが、ハズしているんじゃなくて、ハズれている気がする。
歴代のディズニーキャラが順に流れてくるエンドロールが1番感動したという、何とも残念な100周年記念作品。