ロアー

銀河鉄道の父のロアーのレビュー・感想・評価

銀河鉄道の父(2023年製作の映画)
3.7
舞台挨拶中継付上映にて鑑賞。
父親の映画ですが、母の日直前の休日に母と一緒に観てきました。

最近(と言ってももうひと月半前だけど)とても悲しいことがあったので、それからと言うもの面白い〜と言って笑っていても、いつもの感情が100%としたら70%くらいしか感情が動いてない自覚があって、お陰で毎年緊張して手が震えていた人前での発表も、今年は何の感情もなくさらっと終えることができたんですけど、どんな映画を観ていてもどこか心が冷めてるので、これは困ったな〜とぼんやり感じていました。

でも、これは結構泣いた。

今よりずっと男女の役割が確立していて、家長や長男、世襲の意味合いも大きかった時代。"病気の子どもの看病は母親の仕事"で父親が関われば奇異の目で見られてしまう中、世間の目なんて気にせず「俺が看病して何が悪い!俺は賢治の父親なんだぞ!」と言い放つ父親、政次郎。

生物学的に無理なことはともかく、子育てに「これは父親の仕事、これは母親の仕事」なんて、決まった役割は本当はない筈。
大切な存在のために何かしてあげたいという湧き上がる気持ちこそ大事で、まさに"東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ"と我が子のためにすっ飛んでいく父親、これこそ正しい"親バカ"であり、”ラブ”なんだなぁ〜と感じました。
そんな父親の背中を見て育ったから、宮沢賢治もその妹も「人の役に立ちたい」という気持ちがとても強かったんだと思う。

真面目で自分の思い描く理想が高いからこそ、そうなれない自分を無力に感じて時には狂ってしまったり、"丈夫ナカラダ"を持って生まれることができなかったことを悔いたり・・・

題名こそ「銀河鉄道の父」だけど、『銀河鉄道の夜』より「雨ニモマケズ」と繋がりが深いように感じた映画でした。劇中、印象的なシーンでこの詩が使われていたのもあるし、"サウイフモノニワタシハナリタイ"と宮沢賢治が思い描いた理想像の中には、映画の中で描かれていた政次郎や妹、そして宮沢賢治自身の姿が重なるところもあったので。

周りから見ればすでに十分立派な人間として認められていても、何よりその立派さを賢治自身が認めていないので自覚できない難しさ。
賢治の理想の高さ=父親のような人間になりたい、父親に認められたいという気持ちだったと分かった看取りシーンの政次郎の台詞に涙が溢れました。

政次郎役の役所広司がやっぱ演技上手いんですよね。
狂気じみた恐ろしい役も今回のようなちょっと面白味のある優しい役も、どっちもすっと自然に馴染む流石の演技力でした。
ロアー

ロアー